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アフリカ旅だより(1)
南ア・ガーナ・ナイジェリア
寺田恭子(GEO Global オーガナイザー

8月29日現在

 日本はそろそろ秋の気配とのことですが皆様いかがおすごしでしょう。暑かった7月末に東京を出てから、東南アジアを経て、出張旅路の途中でアフリカにいます。私にとっても初めてのアフリカです。せっかくのこの機会、自分にとっても新鮮な事柄を記録したいと思い、GEOにレポートさせていただくことにしました。これまでに行ったことのある東アジア、東南アジア、南アジア、中南米の国などと単純な比較はできませんし、偏りも多い私見に過ぎませんので、現地事情をご存知の方から「これは違う」「それはこういう意味だ」といったご指摘、また乱暴な表現に対する政治的に正しい修正をいただければありがたいです。そんなものを公表するなというお叱りも覚悟して、スタートいたします。

 今回は、アジア・アフリカの12都市が参加して行われる、技術協力プログラムの調整のために各メンバー都市を訪問中です。アフリカではは、プレトリア・ヨハネスブルグ(南アフリカ)、アクラ(ガーナ)、ラゴス(ナイジェリア)と移動してきました。また、これから向かうダルエスサラーム、ナイロビ、アディスアベバに関する情報をお持ちの方、こんなもの見たら?といったご助言をお待ちしてます!

▼写真の記録

 南アでは、週末にソウェトに行きました。政治の中心プレトリア、経済の中心ヨハネスブルグの街中とはまた違った住宅街に現地のブラックの人々が住み、アパルトヘイトとの闘いの記録がメモリアルとして残されています。少年達による差別への抵抗運動に対して発砲され、銃撃で亡くなった少年の記念碑。当時も今も政治集会に使われているというレジナ・ムンド教会の二階に、いろいろな写真が展示されていました。ネルソン・マンデラ氏の若い頃から囚人時代の写真はもちろん、黒人用と書かれた歩道橋、白人の警察官に押さえられている黒人男性、抵抗運動の群集などなど、撮影禁止されていただろう時代の写真が、最近になって表に出てきているとのことです。76年6月16日、抵抗運動の中で初めて少年が撃たれたというその日に、この少年を抱えて逃げている別の少年達の姿を描いた絵を目にしますが、その元となった写真がこの教会にも展示されている、はずでした。しかしその壁には何もなし。他での展示のために一時的に外した、と説明されて、なんで複製しなかったんだ!?という疑問以前に、「ソウェトに来たくないという白人がいるからヨハネスブルグで展示しているんだよ」という説明に憤慨するのは、外国人として簡単でした。一緒に周ってくれたマラウィ系南ア人の奥さんも、「なんで?来させればいいじゃないの!」とかなり怒っていました。

 とはいえ、一方で、元名誉白人である黄色日本人の私自身、褐色の肌をしたご夫婦と一緒に周っていても、正直なところ車の外では緊張していました。実際、普通の生活を営む人たちの中に、その生活と切り離せない近い過去を見物/学しにいくのは居心地の悪いものです。さらに、治安という面で、明らかなよそ者としての不安が大きいのは事実です。ましてや、連れて行ってくれたそのご夫婦も、昼間でもあんまりソウェトの奥に入るのはこわい、とソウェト在住の友人との待ち合わせを、大通りの警察署前にしていたくらいですから・・・。いずれにしても、自分が生まれて以降の時代に実際に起きていたことの記録をあらためて目にし、今も尾を引くその残滓に触れるのは心揺さぶられる経験でした。

 近隣国のジンバブエでは、土地の所有権を巡って、白人と黒人との間での殺傷事件が広がっています。そのジンバブエに住む白人の奥さんと隣り合わせになった時、ソウェトで自分が生まれてからも起こっていた事実を改めて目にするのはショックだった、と口にしたら、「あら、日本軍だってイギリス人捕虜やオランダ人捕虜にひどいことをしたでしょう。あ、でも日本人は反省したみたいよね。」と言われました。たかだか50年程度の歴史なんてそんなもの、なのかもしれません。

▼植民地と奴隷貿易の歴史

 ギニア湾に面するガーナのアクラとナイジェリアのラゴス。私が小学校の頃の地図には、まだ「奴隷海岸」という表記も載っていたと記憶しています。アクラの国立博物館(とぉってもシンプル&説明がほとんど無い・・・)では、ちょうど奴隷貿易の歴史、という臨時展示(UNESCO支援による=ここは英語での説明がたっぷりある)があって、第1代総督の似顔絵だの、基地の模型だの、どこからどこに何が輸入されて、かわりに奴隷が輸出されたかという地図や、足かせの実物等がありました。この展示には記載されていませんでしたが、奴隷貿易では、部族闘争の中で、同じ黒人の敵部族をつかまえて、白人に売り飛ばした黒人がいたのも事実とか。その支払いはガラスのビーズでおこなわれたため、当時、ベネチアやオランダではどんどん素敵なガラスのビーズを生産していたそうで、それが今、ラゴスの市場で売っていたりします。つやがあってきれいなものも、細かい傷で表面が擦りガラス状になっているものも、かけているものもあります。きれいなんですが、これが何と(誰と)交換されたんだろう?と思うと、ずっしりくるものがありますね。「アンティークビーズ博物館でも作ればいいのに、売り飛ばすだけなんて」と、こちらの日本人の奥さまがため息をついておられましたが、ビーズを切り口とすると、ナイジェリアという国の背景について、かなり幅の広い情報を提供する博物館になり得るでしょう。部族ごとに装飾品としてどんなデザインのどんなビーズが使われるのか、どう作られたものなのか、このタイプのビーズはいつ頃のもので何と取り替えられたのか、などなどなど。興味がわきませんか?有名なビーズに似せたお土産用ネックレスなども売っていて、その似せ方(手描きで表面に塗装してある)がなんともかわいらしい感じでした。

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