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家 事
石井 正子(GEOメンバー)
 1997年11月30日大阪大学で開かれた東南アジア史学会のテーマは、「東南アジアの社会変容と女性たち」でした.マレーシア、インドネシア、タイ、フィリピンを研究する若 手の女性研究者が発表したのですが、やっぱり何処も家事は女性の仕事であるらしい….

 1970年代からはやっている女性と開発=Women in Development(WID)やジェンダーと開発=Gender and Development(GID)の議論でも、女性が外で働きはじめたにもかかわらず、男性があんまり家事を手伝ってくれないので、女性の負担がますます増えているという意見や、いや、女性が働きはじめて家父長性なるものから解放されつつあるのだ!という意見が交わされましたが、なんかこれは身近なテーマのようですね.

 一体いつから女性は家事をするようになったのでしょう.それは子どもを生む性だから?(こういった議論もたくさんなされている様です.)私はかねがね人間が、男女運が悪かった(よかった、ともいえる)方が妊娠するという動物だったら、どんなにジェンダー文化は違っていただろうと思っていました.「あ、今回はあなたが当たったのね、お産たのんだわよ!」とか言えたらどうでしょう.わたしは、フィリピンでお産にも立ち会いましたが、本当に本当に本当に大変そうでした.

 と、話は家事からそれましたが、家事とは文字どおり、その地域の「家」の概念と密接 に結びついているのでしょう.しかし、「ここにはあんまり家事がないんじゃないの?」と実感した経験がありました.それは、1994年にフィリピン・スールー諸島南端に漂海民で 知られるバジャオの海上集落を訪れたときのことです.彼らは1950年代ごろまで小型の家族用の船で漁業を営みながら移動生活をしていました(門田 修 『漂海民−月とナマコと珊瑚礁』河出書房新社、1986年).私は彼らの船の家=家船に3日間生活するという体験をしたのです.

 舟上での女性の仕事は、男性が海で作業をしている間に操船すること、獲った魚を干したり塩漬けにすること、舟の上で料理をすること、子どもの面倒をみることなどでした .いわば漁業を手伝って、家事ならぬ「舟事」をしていたのです.

 では「舟事」とは何?.まず料理.キャッサバか米を主食に獲った調理します.魚は旦那が獲ったものだから、買い物に行く必要も献立を考える必要もありません.舟の後端に陶製の調理器をおいて、風をうまく調整しながら、薪にケロシンをかけて火をおこします(以前ケロシンがなかった時にはこれが大変な作業であったらしい).たいてい中華鍋のような大きな鍋をつんであって、これでキャッサバをいったり、魚を煮たりします.後片付けは、各自が自分がつかったお皿を舟から手をのばして海水でサッとやってしまう.次に掃除. 舟底は3畳くらいなのでこれもササッと掃いて終わってしまう.子どもも目のとどく範 囲で遊んでいました.「舟事」はあまり女性の労力を必要としていないようでした.

 私は、1950年代から海上集落に定住化を始めた彼らの「家」はどこか違うぞ!という違和感を抱いていました.実はその家には、居間、寝室、台所、水浴び場、トイレといった区分の概念が全くなかったのです.台所で洗濯もすれば寝てしまう.けれどもこの違和感 は、彼・彼女らの海上の「家」を私の中にある家の概念の延長線上で考えるのではなく、「家舟」の延長線上で考えることによってきれいに消えていったのです.

 さて、定住化にともなって夫と一緒に漁に出ないで、家に残る女性が増えているそうですが、それは「家事」ができたことで、余計に仕事が増えたという見方からも理解できそうです.部屋の数は増えるし、買い物にもいかなければなりませんし、子どもも学校に行かなければなりませんし….

 こうして漁業=男性という文化がまた一つ増えていくのかもしれません.という風に「舟事」と比べることで、近代的な家がいかに「家事」を必要としているのかが、少しわかった気がしました.

石井正子さんプロフィール
上智大学大学院博士後期過程を経て、国立民族学博物館地域研究企画交流センター非常勤研究員.第13回コロキウムでは「フィリピンミンダナオ島のイスラム教徒の社会変容」をお話していただきました.

[本エッセーは、1998年1月発行の地域研究組織GEO Newsletter第2号に掲載されたものです]

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updated:2002.07.22