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エッセー/アジア
中国で考える今回のテロ事件、
そして「アメリカ的なるもの」
有留 修(月刊ビジネス情報誌『上海商流』編集顧問・在上海)aridome@sh163.net

 今回のテロ事件に対して、中国の一般大衆はおおむね「ざまあみろ」と快哉を叫んでいる向きが多いと思います。もちろん、国の指導者が公の場でそう発言するわけはありませんが、本音の部分ではそう思っている可能性が高いと思われます。普段から、ロシアなきあとの仮想敵国とみなされ、アメリカの「覇権主義」に異を唱える中国であれば当然の反応と言えるかもしれません。

 発展の真っ只中にある、この中国にいると、アメリカや日本などが大騒ぎしているテロ事件と報復がまったくの「他人事」のように思えます。Business as usual...人々は普段通り、仕事に、金儲けに相変わらずせっせと励んでいます。アメリカの心配、恐怖感、報復への高まる感情がすべて遠い世界の出来事です。

 非常に稀有な世界です。この世界同時不況(そして、同時テロの危険性)の時代、中国だけが「イケイケドンドン」。いまの経済発展が止まる気配はまったくありません。に、この上海は年率10%の成長がこの10年続いており、人々の将来に対する期待と希望には大きなものがあります。

 そこで見たアメリカの恐怖…正直、自分のこととしてとらえるのが非常に難しい。アメリカにいる友人はメールで、アメリカにいま「見えざる恐怖感」が広がりつつあると指摘しています。いつ、どこで、だれが、どのような方法で襲ってくるかもしれない。アメリカ本土を巻き込んだ目に見えない敵(恐怖)との戦いが、いままさに始まろうとしています。

 でも、この恐怖感、どこかで聞いたことがあるような気がしませんか?そうです、ベトナム戦争中のゲリラ戦でアメリカ兵が抱いた恐怖心です。民間人と兵士の区別がつかないため、いつ、どこから、だれが攻撃してくるかわからないという恐怖に絶えず兵士は襲われ、心理的な消耗に悩まされたことでしょう。ベトナムから帰還してもなお、その恐怖心から悪夢や幻想に悩まされる人々がいることは、映画などを通して、われわれも知るところです。

 うがちすぎかもしれませんが、そのベトナムの恐怖がいま、本土に暮らすアメリカ人に襲いかかってきたと言えないでしょうか。いままで本土が戦場となることのなかったアメリカにとっては(ハワイを除き)、まさに晴天の霹靂です。ITを推進力とするニューエコノミー状態が10年近く続き、わが世の春を満喫していたはずのアメリカに突如襲った身近な死の恐怖…この落差には、人事ながら愕然とさせられずにはいません。

 今回の中国における「冷めた反応」について、最初は、「あんたら、ちょっと冷たすぎはしないか?」と思っていた小生ですが、いろいろ調べていくうちに、こうした反応が中国だけではないことに気づくこととなりました。

 あるアメリカのニュースサイトに載っていた記事です。そこのアメリカ人記者が多国のジャーナリストと一緒に円卓会議に出席したところ、「同情を寄せられるどころか、みんなに責められ、なかには自業自得だと言う人もいた」ので愕然としたというのです。つまり、「アメリカ一人勝ち」状態に、他の国が嫉妬していたということなのでしょうか。確かに、そうした側面はあると思います。実際、アメリカの政策に「独り善がり」な特徴があることも確かですから。

 日本にいる友人の一人から「アメリカの独善的な行動に、なぜわれわれがついていかねばならないのか」という憤慨する内容のメールが届きました。彼のパートナーはカナダ人の女性で、彼によると、カナダはアメリカに同調していないということでした。「日本では、カナダのように同調しない国があるといった情報は流れない」と彼は言います。日本のメディアの現状がどのようなものか、こちらにいる小生にはよくわかりませんが、おそらく彼の懸念通り、一つの色で塗り固められている可能性は否定できません。

 ただし、アメリカの外交政策を学んだ者として言えるのは、今回の事件に対するアメリカ政府の反応として、それ以外に選択の余地はなかっただろうということです。基本的にマッチョな国ですから、大統領をはじめとして国家の指導部が今回のテロ攻撃に対し何もしないでいるということは考えられません。まず、世論が許しません。そして、世界最大の宗教国家であることからして(これについては以前、GEOの勉強会で発表した通りです)、アメリカにとって中途半端な対応は許されません。

 太平洋戦争の際にもそうでしたが、アメリカにとって戦争とは「神VS悪魔」の戦いですから、悪魔を徹底的に破壊するまで続くと思います。フセインを捕らえられなかった湾岸戦争の経験もあり、今回は余計にそうでしょう。それに、今回は史上初めてアメリカ国内が攻撃の対象となったわけですから、さらに復讐への機運は高まることでしょう。

 外地から見ると、何もそこまでと思うでしょうが、アメリカの国としての成り立ちを考えると、別の対応は無理でしょうね。ある意味、アメリカの悲しい性だと思います。ちょっと次元は異なりますが、大国としての「責任」を感じるがゆえに、ハイチやルワンダなどという別にアメリカの国益に何ら関係もない地域であっても、出て行かなくてはならない。たとえ、大統領が個人的にはしたくなくても、しなければならないときがあると思います。こういうとき、大国でなくてよかったと思うのは小生だけでしょうか…

 以前、日本の景気が最高潮を向かえていたとき、日本大国論のようなものが盛んになりましたが(国連の常任理事国入りもこのからみでしょうか)、この「大国の責任、辛さ」を十分理解したうえでの議論なのか、疑問に思ったものです。

 おっと、ちょっと話がそれました。

 今回の事件を通じて露呈してきた、このアメリカ的なるものに潜む弱点、それはずばり「異文化に対する鈍感さ」だと思います。

 今回については、もう遅いですが、基本はリビアだろうが、イラクだろうが、イランだろうが、彼らがアメリカから望んでいるのはずばり「respect」だと思います。国際社会におけるちゃんとした存在であるとの認識をアメリカから示してもらいたいのだと思います。それが得られないから、悪さをする。いわば、親の愛情を受けられない子どもがダダをこねるのと同じです。

 元大統領のニクソンはその著書のなかで言っていました。「ソ連も中国もそれなりのrespectが欲しいのだ」と。

 それは、大国であれ、小さな国であれ、同じだと思います。タリバンだって、それなりに遇していれば、それなりに常識の範囲内での行動をとるはずだと個人的には思います(間違っているかなあ…)。みんな、アメリカという「親」に認めてほしいのです。このあたりは、戦後の日本におけるアメリカに対する「片思い」を見ても一目瞭然ではないでしょうか。世界のどの国であれ、どの民族であれ、アメリカにそれ相応の「respect」を見せてもらいたいと思っているのです。

 今回の場合、アメリカのイスラエルに対する軍事・経済的な支援、その結果としてのパレスチナ(アラブ)攻撃といった現実的な問題もあるでしょうが、心の奥底にはいま述べたイスラムに対する「respect」の欠如が遠因になっているのではないでしょうか。

 まあ、それも難しいでしょうね。かの地に2度住んだ経験からしますと、アメリカは多民族、多文化国家でありながら、その多様性を十分活かしきれていないのではという疑念が常にあります。何といえばいいのでしょう、異文化に対する鈍感さとでもいえるでしょうか。そうしたアメリカ人に注目してもらうには、テロという非常手段をとるというのも、追い詰められた心理状況のなかでは可能なのでしょうね(もちろん、その行為を肯定しているわけではありませんからね。念のため)。

 これは、非常に根の深い問題だと思います。これを機に、アメリカがもう少し冷静になって、こうした異文化に対する鈍感さという問題について深く議論してもらえることを期待したいのですが…。まあ、それは望みすぎというものでしょうかね。

 これを機にもう少しイスラムに関して勉強したいのですが、ここだと簡単に本が手に入らない…だれかGEOのメンバーでイスラムに詳しい人いませんでしたっけ?今回のテロ事件にからめて、イスラム側からの見方について教えてもらいたいものです。

 どなたか、お願いします。

【筆者プロフィール】は,次のウェブページの末尾をご覧ください。
現在の有留さんのメールアドレスは, aridome@sh163.net です。
http://www.fsinet.or.jp/~geo/nletter/contents/nletter02/nletter023.htm

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updated:2001.09.29