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エッセー/アジア
「死の鉄道」を支える「戦場の橋」を訪れて
勝間田 弘(英国バーミンガム大学大学院・在シンガポール)

 「戦場にかける橋(The Bridge on the River Kwai)」という映画をご覧になったことはありますか。1957年のイギリス映画で、アカデミー賞7部門を受賞した名作です。たとえ見たことがなくても、その名前を耳にしたことがある方は多いと思います。

 第二次世界大戦中、日本軍がイギリス人捕虜を使って橋を造る場面での、日本軍将校とイギリス人将校の、複雑な信頼関係を描いた名作です。映画の舞台となった橋は、タイからビルマへ軍需物資を運ぶ鉄道路線上の、クワイ川にあります。

 このクワイ川の橋、今でも残っているのです。著者は最近、現場に行ってきました。そこで今回は「戦場の橋」についてお話しします。

 戦時中、南方戦線を戦う日本軍は、タイからビルマへ軍需物資を運ぶために鉄道を必要としました。しかし、そこは前人未到のジャングルです。奥には山と崖が延々と続いていており、常識的には鉄道敷設など不可能な所でした。そこで当初は、ジャングルを切り開き山を削って鉄道を通すには、どんなに無理しても5年はかかると言われていました。

 しかし、ビルマの前線における成果を急ぐ日本軍は、何と1年3ヶ月で鉄道を完成させてしまったのです。路線の全長は415キロ。これが、泰緬(たいめん)鉄道です。

 この驚異的な速さの裏には、多くの犠牲がありました。日本軍は、イギリスやオランダなど連合国軍の捕虜を労働力として使いました。その総数は3〜5万人と言われています。さらに、中国、ビルマ、タイなどアジア人の労働者も働かされました。その総数は10万人以上だったようです。

 彼らは灼熱の太陽の下、ろくな食事も与えられないまま休みなく働かされました。そのため、過労、栄養失調、疫病などで、次々と倒れていきました。強制労働の犠牲者の総数には諸説がありますが、少なくても5万人以上だったようです。よって、泰緬鉄道は別名「死の鉄道」と言われています。

 5万人以上の命を犠牲に造られた死の鉄道。その工事の難所の一つが、クワイ川に橋を架けることでした。クワイ川の橋は、バンコクから西へ100キロ、カンチャナブリーという所にあります。戦争中は何度も攻撃を受けましたが、戦後に修復され、今でも鉄道を支えています。泰緬鉄道の路線の大半はジャングルに埋もれてしまっていますが、一部が今でも残っており、地元の人の足となっています。そして、クワイ川の橋もそこに含まれているのです。

 現地へ行ってみると、まず改めて驚かされるのが猛暑です。外に出て体を動かすことなど、一時間でも苦難に思える灼熱の太陽です。一年中こんな気候の下で労働というのは、常識的には考えられません。

 ジャングルの中を抜けていく鉄道に乗ってみると、当時の工事の困難を想像させられます。本当に凄いところに線路が敷かれているのです。山の中、ジャングルの奥、そして急な崖の側面を鉄道は走っていきます。山を切り崩し、ジャングルを切り開き、枕木を一本ずつ敷いていった労働者たちは、何を考えていたのでしょうか。

 皆さんもタイに行く機会があったら、是非ここを訪れてみてください。日帰りで行ける所で、現地の旅行会社に尋ねればすぐに分かります。映画「戦場にかける橋」もお薦めです。有名な映画ですから、どこへ行っても見つかる筈です。少し長いですが、見る価値はありますよ。

【筆者プロフィール】
勝間田 弘(かつまた ひろし)英国、バーミンガム大学大学院、政治・国際学部博士課程在籍中。冷戦後のアジア太平洋地域における政治・安全保障協力への、社会学的理論によるアプローチを目指す博士論文を執筆中。アセアン諸国の役割を考察するために、現在シンガポール国立大学大学院、政治学部にて研究中。メルマガ「教科書に書いていない国際政治学」(http://members.aol.com/hiro102570/magazine2.htm)著者。GEOグローバルメンバー。

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updated:2002.02.10