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コロンビア滞在記
菊地 靖(GEOメンバー・英国ヤマト運輸勤務 在ロンドン)
 菊地靖さんによるコロンビアレポートです.1998年9月にコロンビアのメデジンの大学が開催したJAPAN WEEKにて『英国・欧州における日系企業、英国人と日本人』というテーマで講演をしにコロンビア訪問をした際のレポートです.

 私、1998年9月26日〜10月3日までコロンビアに行ってきました.Medellinに5泊・Manizalesに1泊の合計6泊の滞在でした.

 現在、私が住んでいるロンドンから、コロンビアの航空会社のアビアンカ航空で Bogota まで直行便で約12時間、そこから国内線に乗り換えて Bogota -Medellin、約1時間のコースであります.

 今回のコロンビア行きでは、ICEA(Colombian Institute for Asian Studies)とMedellinのいくつかの大学が中心となって Japan Weekを開催、その席に私も出席させていただきました.この Japan Week では、日本の経済・文化・教育・伝統を幅広く紹介.コロンビアの日系企業で働くコロンビア人による日本的経営についての講演や、書道・折り紙の実演もありました.

 私の場合、日本での大学の時の恩師が現在コロンビアの Mainzales に留学しております関係で、その先生の紹介で、英国の日系企業で働く立場で、日本と英国の経営や会社運営の違い、あるいは日本人と英国人の生活習慣の共通点や相違点について話をしてきました.

 とにかく、世界的にマイナス情報が圧倒的に多いコロンビアです.コロンビアに行く前には、コロンビアを知らない人の全員から、『そんな危険な国に行って大丈夫?』『麻薬を買いにいってくるの?』といった類の話ばかり.

 一方で、一度でもコロンビアを旅行をしたことがある人は、『本当に魅力的な国.人々もあたたく、親切.』と絶賛.

 コロンビアそして南米初体験の私も各種情報をかき集めて出発しましたが、実際行ってみると何一つ心配はいらない、本当に素晴らしい国でありました.人々の真心と親切に、心から感動してきました.

 日本にもヨーロッパにも、もしかしたら数十年前までにはあったのかもしれませんが、コロンビアの人達は心の温かい表裏の無い、本当に付き合っていて気持のよい人々です.

 それに、私が今回行きました Medellin で海抜1500m、 Manizales で海抜2100mということで、赤道すぐ近く(北緯5度)の位置関係ながら、気候も温暖、1年中春から初夏の陽気です.肥沃な土地と水にも恵まれ、緑・花・フルーツがどこにいってもあふれている、豊かで自然の実りの多い国です.

 ですから、『この情報のギャップは一体何だろう?』と、この情報不足による“コロンビアは怖い”という単純化したイメージ、“正確に一つの国を理解をすることの難しさ”に、ついて旅行中ずっと考えていました.

 もちろん、コロンビアには貧富の差、そしてその差が拡大しているという現実の問題があります.

 コロンビアの場合、納税の金額により役所がその人のランクを1〜6に分けています.1が最低所得層、6が最高所得層です.そして、そのランク付けにより電気・ガス・水道などの公共料金支払い額に違いがあります.学校の授業料も、同様に格差が設定されております.ちょっと過激な気もしますが、ある種の累進課税、あるいは平等政策とはいえます.

 今回、Medellinでは、3つの大学を訪問しました.

1.私立の Eafit University (ランク5〜6の子弟が通う.)

2.国立の Antioquia Univ. (同、ランク2〜4.)

3.私立の Esumer Univ. (同、ランク3〜4.)

 と、なっていまして、いわゆる1の Eafit Univ.がお嬢さん・お坊ちゃん大学です.Medellinでは、3軒のコロンビアの人の家に宿泊をさせてもらいました.いずれも、1のEafit Univ.の先生や学生のお宅です.ですから、私が触れたきたのはコロンビアのごく一部の人達、それも富裕階級の人々であったのかもしれません.が、彼らとの数日間の交流を通して感じることができた、『気持のやさしさ』や『心のぬくもり』は本物でしょうし、日本人が忘れてしまった心の余裕・豊かさを持っていることは間違いありません.

 今回、私が宿泊をしました3軒の家を紹介します.

 1軒目は Javier という Eafit Univ.の先生の別荘に泊まりました.Medellinから小1時間程車で走りました郊外のところにあります.Medellin空港に飛行機が遅れたこともあり、夜の 11:30 の到着となってしまったのですが、恩師の先生と Javier夫妻に出迎えてもらいました.そこから、郊外の山の上を目指して約1時間のドライブ.ちょうど私が着く少し前に、バケツの水を落とすような勢いの雨が降っていた、ということで 別荘が近づくにつれて道路はだんだんと悪路になり、車の走行が困難に.ついに、途中で車をおいてぬかるみの山道を、徒歩で上ることになりました.

 深夜の1時頃、ほとんど明かりがないところを一歩一歩、足元を確かめながら、そろりそろりと20分ほど登っていきました.ようやく別荘にたどり着いて、あいさつをし、用意をしていてくれた夕食をいただいて、すぐにベッドに入りました.

 翌朝、朝起きて、この別荘の周辺を散策してみるとその景色の美しいこと.まず、家の周りにはハンギング・バスケットで色々な花が飾られております.それから、建物の横や裏にでてみると、今度はトロビカルな花が咲き乱れ、バナナやトマトも収穫できます.この手入れの行き届いた Javierさんの庭の向こうにもあたり一面、コーヒーやトウモロコシや様々な木々、植物が植えられています.

 朝食の時には、今回私が話をする内容を打ち合わせ.初めてのコロンビアですから、知人・友人・本・インターネットを駆使して情報をかき集めましたので、そこから生まれた疑問・質問をいろいろ尋ねてみました.そして、コロンビア最大のこれからの経済発展のカギとなる、『麻薬』と『テロ』について質問.Javierさんによると、これから会う先生や学生とは、何を聞いても話してもかまわない.『率直に話をすることが大切.』とのことでありました.

 特に『麻薬』『テロ』対策については、この6月の大統領選挙で野党の候補として現職を破って当選した、パストラナ大統領が毅然とした姿勢で対処しております.個人の銀行資産の明朗化や過激派の資金源となる会社組織の撲滅を徹底的に進めているとのことです.依然20%前後のインフレの抑制や、12%近い失業率・赤字財政などの国内問題を解決していくなかで、国際信用を取り戻し、麻薬問題で冷え込んだUSAとの関係改善、またヨーロッパや日本からの企業投資に結びつけていくことが迫られております.

 それから、この日の夕方は、ちょっと Javierさんの奥さんのお母さんの家に寄りました.日曜日ということで、奥さんの8人いるという兄弟・姉妹と、その奥さんあるいはご主人、子どもと、合計で20数名が集まっておりました.そして、お母さんを中心に全員が輪を囲んで談笑.子どもたちも、大人の中に入って話をきいております.こんな情景は日本でしたら、年に何度か、正月、あるいはお盆にあるかないかのことだと思います.

 これが何と、平均的コロンビアの家族では、毎週日曜日毎に家族一同集まるということです.大勢の家族が集まれるという家の条件もあるのでしょうが、とにかく、私にはとても新鮮なものと映りました.

 私が Medellin で宿泊をさせてもらった2軒目は 、Javierさんと同僚の大学の先生宅であります.ちょうどその先生自身は、USAに出張中ということで奥さんとお子さん二人(兄18才、妹16才)がおりました.『ご主人の留守中に宿泊させていただいたりして、誠に申し訳ありません.』といいますと、奥さんは『子どもたちにとっても日本からのお客さんに泊まっていただくのは貴重な体験・思い出となります.コロンビアにとって外国のことを知るのはとても、大切なことなのです.』との返事.息子さんは、この6月までUSAに留学していたということで英語は完璧.来年に大学受験で、心理学や社会学の学部を専攻したいそうです.

 妹さんは、音楽家志望で学校のバンドではピアノを担当、あと一ヶ月に迫ったコンクール目指して毎日遅くまで練習をしているそうです.こんどCDも出す予定があると、うれしそうに話をしてくれました.また、毎週日曜日には近くの教会で、子どもたちのためのミサ集会でコーラス隊の子どもたちにギターの伴奏を付けているそうです.

 この家のお母さんの話の先程の話を始め、本当に見事な家族です.ここで、私に新鮮に映りましたのは、夕食後に子どもたち二人が『ごちそうさま』のキスをお母さんにしたことです.これも伝統的カトリック社会では当たり前のことなのかもしれませんが、16才・18才の若者が毎度の食卓で、母親に感謝をこのように伝えるのは大変感動的でした.

 3軒目の宿泊先は、 Eafit大学3年生の Carlos君の家であります.2軒目の家(マンション)もロンドンでもあまり見る機会が少ない位の大きな家でしたけど、今度の家は更に大きな一軒家でありました.家の周辺には、町内で自主的に雇っているという私設のガードマンが24時間警備をしております.

 Carlos君も高校の時にUSAに留学.英語はまったく問題ありません.大学で、私が話をする時には、英語からスペイン語への通訳もお願いしたほどです.3人兄弟の真ん中で、兄と妹は現在それぞれUSAに留学中.1ケ月程前に対USAドル、9%の切り下げを行なったばかりのコロンビアの国からです.

 彼のお父さんは会社を2つ経営.昼食にも会社より家に戻ってきて家族一緒に食事をするコロンビアですから、お父さんともずいぶんとトツトツとながら、英語でお話をしました.

 今回の滞在では一度しかレストランには行きませんでした.コロンビアでは外食の習慣がどのくらいあるのかは、よく分かりませんが、このお宅では、毎度、住みこみのメイドさんによる手料理を家庭でいただきました.料理は、Carlos君の郊外にある別荘で収穫できるという野菜やフルーツをふんだんに使った料理です.パンやデザートでは、とうもろこしを使ったものが、色々でてきました.スープもとてもおいしく、また料理にはオイルの使用も少ないですから、日本人にはとても口にあう料理が多いのではと思いました.どの食事も、あっさりとした食べやすい味です.

 飲み物も健康的なフルーツ・ジュースが中心.始めての食事の時に、飲み物を尋ねられて『ビール』と答えたのですが、家には在庫がない様子でした.ワインも食事の時、特に飲まないようです.

 どんな風にどういった種類の酒を飲むのかのコロンビア一般事情がよくわかりませんけれども、少なくとも、この Carlos君の家は、食事も飲物もきわめてヘルシーという印象でした.

 Medellinでは、観光はほとんどする時間がありませんでした.たいていの時間は大学などで、学生の方々との交流会やミィーテイング.その他の時間は、ほとんど宿泊させていただいた家や、学生さんや先生方の家に連れていってもらって、そこでコロンビア・コーヒーをいただきながら、話をしていました.

 5%弱といわれている、大学進学率のなかで、明日のコロンビアを背負ってたつ彼らは、これからいかにコロンビアを良くしていき、発展させていくかを真剣に考えています.日本企業の誘致なども今後のテーマになっていきますから、日本の経営システム、現在の日本の経済問題、アジアの経済危機、あるいは日本の教育事情などと、意見をずいぶんと交換してきました.コロンビアの現実を謙虚に見つめた真摯な姿勢、熱心な向学心は大変に好感がもてます.

 Medellinは周辺の近郊町村を含めて、人口規模では首都 Bogotaに次ぐ350万人の大経済都市です.道路は、バイパスや立体交差がよく整備されており、交通渋滞も少なく市内の移動はとてもスムースです.最近できた近郊電車路線の周辺には、サイクリング道路ができその両側には木々が植樹されていたりと、とてもきれいな落ち着いた都市ができあがっています.

 Manizalesでは、少し町を歩くことができました.こちらは人口30万人規模の中都市です.市価より20%程安いという、電化製品やスポーツシューズなどを売っている密輸品だけのデパートが、市役所のすぐ隣にありました.

 それから、Medellin でも Manizalesでも、インディオの文化や歴史を伝える博物館や資料館を探したのですが、見つけることが、できませんでした.スペイン人入植前のインディオの歴史や、その後の陰惨な歴史、さらには文化の融合、民族の融和・混血事情なども、とても興味ありますので、これは次の課題となります.

 最後に、危険・安全面のことに触れます.

 昼夜問わず立ち入ることができない危険な地域は、Medellinにも Manizalesにもあります.もし歩くなら、時計も何も一切身に付けず、軽装でしかも汚い服装がその地域に入り込む最低の条件となる地域です.また、Medellin から Manizalesまではバスで5時間かけて移動しました.直線距離では100km位のところですが、山から山への移動となりますので時間がかかります.このバスに乗る前に見送ってくれたコロンビアの方から『車内で知らない人から食べ物や飲み物をもらっても絶対に口にしてはいけない.』と、厳しく言われました.その飲食物に眠り薬が入っている場合があるそうです.

 確かに統計資料をみても、コロンビアは殺人の数など世界でもワーストの国の一つであります.ですが、危険な地域はどこにでもあるわけすし、ニューヨークでも、ロンドンでも、あるいはヨーロッパのどの都市を歩いていてもいわゆる“ヤバイ地域”は、あります.

 Medellinの最後の夜、Carlos君とその友人と一緒に、夜の町を見学に行きました.夜、10時、屋台でホットドックを食べて、公園のベンチに座っていました.そこから、しばらく町を見ていると、帰宅途中の女性が一人で歩いていますし、夜間学校の授業を終えて夜食のスナックをその屋台で食べている何人かの学生がいます.何と平和な光景なのか.一体世界の“危険きわまりないコロンビア”という報道とこの光景のギャップはどこからくるのか、私にはまったくわかりませんでした.

 司馬遼太郎さんが、『街道をゆく』のスペイン、バスク地方の紀行記の中で、次のように書いています.

 『テロを含む激烈な行動集団であるETA(バスク祖国と自由)が、スペインの首相を暗殺した.その後もテロをつづけたために、バスクという民族名や地域名は、“事件”と同異義語になった.私が、バスク旅行を思いたったときも、“バスクの旅など、危険なのではないか.”と、忠告してくれる人がいた.』

 『新聞は、事件を報ずるために存在している.日常は決して報道されないために、テロが連続すると、バスクはたえず爆縁につつまれ、銃声が連続しているような印象をうける.現実の暮しのなかでのバスクにおいては、そういうことはまずなく、人口と暴力沙汰の比を指数として出しうるなら、例として悪いが、日本におけるヤクザ同士の抗争程度か、それ以下かもしれない.』

 個人的な意見ですが、ロンドンの方がコロンビアより場合によっては、防犯上厳重であるという具体的な例があります.

 例えば、コロンビアでは、小学生が通学の時、子どもたちだけで徒歩やバスで行なっていました.しかし、英国では10才以下の通学は、防犯上、法律で親の送り迎えが義務付けられています.

 また、Medellinで車から降りる時のことです.私はロンドンの習慣で、窓ガラスの外から見えるところには上着や、、カバン、紙袋すら残していきません.そうした荷物は必ずトランクにしまうか、一緒に持って外に出ます.これをいつもの通り、Medellin市内の駐車場で私がバタバタとやっていたら、『何をしているの.ここでは、窓ガラスを割るようなヤツはいないよ.』と言われてしまいました.

 コロンビアは、これから経済発展を目指して進んでいくのだと思いますが、貴重な大自然、善意あふれた人間らしいやさしさ.これをいつまでも失わずに、工業化や国際化をしていくことはもしかしたら、諸刃の剣なのかもしれないと、彼らの親切心、純朴な笑顔に触れているときに考えてしまうこともあります.

 Javierさんの別荘から望む景色の雄大さ、あたり一面の花・フルーツ・緑、そしてMedellinからManizalesまでのバス5時間の間まったく絶えることなく続いた豊かな農作物や大自然を見せつけられたとき、知る人ぞ知るコロンビア、良さを知っている人だけのコロンビア、このままでいてよ“ボクのコロンビア”という複雑な気持ちにもなってしまいます.

 ということで、本当に魅力あふれるコロンビアのあっという間の一週間の旅行でした.

 今度は、スペイン語をすこしでも勉強して素敵な彼らと、再会をしたいと思います.

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updated:2001.7.31