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変わりゆく社会、変わらない人々
−旅の途中で垣間見たモロッコ人気質− 東京外国語大学大学院修士課程 小池利幸 |
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文明の交差点、そしてサハラ砂漠が始まる国.これは我々がモロッコを語るときにまず口にでる言葉である.ここでいうところの文明とはアフリカ・アラブ・ヨーロッパという、いわゆる地中海文明であり、またサハラ砂漠は言うまでもなく世界最大の砂漠である.こうした言説は我々に映画『カサブランカ』に代表されるような、エキゾチックで旅情をさそう異文化の薫りを感じさせる.確かに、大陸の東の果てに住む我々にとって、その対極の西の果てにあるモロッコの歴史や自然は非常に魅力的である.私も6年前に初めてモロッコに行ったときの目的は、『カサブランカ』のハンフリー・ボガードが住んでいた街が見たい、そしてラクダで砂丘を旅してみたいという、かなりミーハーなものであった.
しかし、実際にこのような言説を信じてモロッコに外国人が行ったのならば、自分が抱き続けていたイメージとそのギャップに大きなショックを受けることだろう.特に女性が映画の中でのようなロマンチックな出会いを期待していけば、モロッコ人男性のねっとりと絡み付くような視線と、遭った人全員にプロポーズされるような状況に身の危険さえ感じるかもしれない(それを喜ぶ人もいる?).また、本当にしつこい自称ガイドの連中に、これまで感じたことのないような怒りを覚えるかもしれない.ただ、これがモロッコの現実である. カサブランカのような大都会では、この5〜6年の間にさらなる西洋化が進み、日本と変わらない品質・価格でマクドナルドのセットメニューがはやり、またカサブランカの名に恥じないような白い高層建築があちこちにできてきている.モロッコ社会は日々変わりつつある.しかし、それに対して全くと言っていいほど変化していないモロッコ人.長い長いこの国の歴史が、どんな社会変化にも耐え得るモロッコ人気質というものを造りあげてきたのだろうか? 社交的で好奇心旺盛、そして取引好き.こうしたモロッコ人気質は、その逆のような気質を持つ日本人にとってはちょっと付き合いづらい、というよりも苦手かもしれない.これまで多くの旅行好きの友人達がモロッコに行ったが、たいていの人はモロッコ人に、というよりもその気質に辟易し、帰ってくるなり「インドや中国と同じくらい人が悪いというか、いい人を見分けるのが難しい.」などとのたまう.また、私の大学のあるアラビア文学専攻の教授にいわせれば、「モロッコは裏切りの国」だそうだ. 確かに、彼らモロッコ人は概して我々のような外国人に対して親切であるが、その親切の裏には、彼らの当然の行為としての金銭要求が付随する場合が多い.そして、たまには平気な顔をして嘘をつき、約束を破ることもあり、そのことに対して我々が咎めると、「なぜ?」というような顔をする.こうした行為が我々にとっては非常に理解しがたいのである.ただ、面白いことに彼らのそのような行為は何も外国人に対してだけではない.モロッコ人同士の間でも、日常的に起きているのである.これらの現象はどこにその理由を求めるべきなのか? このような事象を考えるとき、やはりまず念頭に入れておかなければならないのは、モロッコがイスラーム国家であるばかりでなく、かつ聖者信仰が盛んであるという特殊性であろう.聖者信仰の盛んなモロッコでは現在の国王までが聖者であると見なされている.そして聖者に触れば、またはその所有物を手にすれば、バラカ(神の恵み)が受けられると考えられている.その例として上智大学の私市正年教授の論文から一節を引用する. モロッコの乞食の多さは有名で、貧しい学生でも、物乞いに小銭やパンを与える.乞食は、「バラカをおもちなのはどなたですか」とか、「バラカを少しください」とか言って物乞いをするが、それは、乞食が受けとる小銭やパンは、神から与えられたバラカとして認識されているからである. (私市正年 「反体制と体制のはざまで」 『イスラームに何が起きているか』1996年、P95) 実際にモロッコを旅行して実感するのは、その乞食の多さである.そしてかれらは我々に手を伸ばし、金銭を要求する.たとえその時気分がよく、小銭をあげたとしても、もし我々が渡した金額が少なければ、逆に「たったこれだけか!」といわれたりする.また、モロッコにおけるバラカの概念を端的に表す事例として、アラビア語のモロッコ方言の中には、標準語の「シュクラン」(ありがとう)にあたる言葉として、「バラーカラッカフィーク」(あなたにバラカがありますように)という言葉もある. さらに、モロッコにおける聖者信仰の特殊性のもととなることとして、イスラーム法の五柱(六信五行)の第3に挙げられる喜捨(ザカート)がある.これはイスラーム教信者(ムスリム)の神への奉仕義務(イバダート)であり、簡単に述べるとするならば、富めるものが貧しきものに施しを与えるという制度である.つまりこれらの聖者信仰、及びイスラーム法を考慮すれば金銭的な問題はある程度理解できるのである.また、約束を破るなどといったことに関しても、彼らモロッコ人に言わせれば、「全ては神が望み給うたこと」であり、その約束ごとは神が止めさせたのであり、またその嘘は神がつかせたのであるということになる.だから、彼らが咎められる必要はないのだという. ところで、彼らの行為を考える際、もうひとつ考慮しなければならないことがある.それはモロッコが元々はベルベル人(北アフリカに住む部族で現在でも同国の人口の60%を占める)の住む地域だったという事である.かれらベルベル人達は昔からアトラス山脈周辺に住み、農業や牧畜に従事していた.そして、近くの大きな村などで市がたつ日に、自分達が造ったものをものを持ちよって、盛んに取引をしていた. ところで、上述したように取引の風習には地域的な隔たりがある.まず、地中海や大西洋岸の地域では、一般的に金銭要求(取引)が盛んである.これはおそらく長年にわたる外国との貿易などの交流から生まれた、比較的新しい形態であろう.もうひとつは、アトラス山脈周辺及び、サハラ砂漠周辺部.こちらは、昔からの風習に基づく物々交換の場であるといえよう.やはり生活物資の集まる沿岸地方では、お金があれば何でも手にすることができるが、生活物資の調達が困難な内陸部では、お金よりも直接生活に関係してくるものの方が好まれるのであろう. 以上、1998年夏のモロッコ旅行を中心として、これまでに私が現地を訪れるたびに経験し、ときにはいらだち、またときには納得させられたモロッコ人の気質について、自分なりに考えてみた.モロッコをまだ訪れたことのない人が、この文章を読んで、「モロッコはいやなところだ.」と思ったかもしれない.しかし、実際にモロッコを体験したことのある人にとっては、今まで不可解であったモロッコ人のアビチュードにある程度の理由付けができたのではないであろうか.私自身、モロッコがとても好きである反面、とても嫌いでもある.ただ、そのまま嫌いなら嫌いのままで済ますことができないほど、モロッコという国、そしてそこに住むモロッコ人に興味を引かれ続けている. これまでに多くの民族をその深い懐に受け入れ、そして、現在では極東に住む多くの我々日本人までもその魅力の中に引き込んでいるモロッコ.どんなに時の流れが速くなっても、彼らの気質は今後も変わることがないだろう(注を参照).私は来年2月から一年間モロッコに留学することになっている.その絶好の機会に、モロッコ人との接触と彼らの観察を通じて、さらなるモロッコ人気質の理解を深めていくつもりである.そして、また機会があれば、この場所で随時報告を行っていきたいと思う. (注)モロッコ人の実質的な気質はかわらないだろうが、観光立国であるモロッコは、あまりにも悪名高い自称ガイドなどを規制するために、1995年からモロッコ人が許可なく外国人と町中を歩くことを禁止した法律を作成した.もし警察署で友人証明書を発行してもらわずに外国人とモロッコ人が一緒に歩いていれば、そのモロッコ人はすぐに警察に捕まり懲罰を受ける.これにより、町の印象ががらりと変わり外国人が町を歩きやすくなった.しかし、それと同時に我々外国人がモロッコ人との触れ合いを持てる場が極端に減ってしまった.うれしいような、悲しいような複雑な心境である. 小池利幸氏プロフィール 1972年、大分生まれ。青山学院大学文学部仏文科及び経済学部経済学科卒業後、東京外国語大学大学院地域文化研究科アジア第三専攻地域研究コース博士前期課程に入学.現在、同研究科同課程に在籍中。高校時代より世界中を旅してまわり、一番気に入ったマグレブを中心とした地中海地域研究を志す。 現在、アルジェリア独立戦争前の同国における民族主義運動とイスラーム主義運動の関係を考察中。また、現代のフランスにおけるマグレブ系移民問題にも関心あり。ゆくゆくはこれらの研究を通じて、現在のアルジェリア内戦の多角的な分析を行いたい。そのため、1999年2月からモロッコに留学. |
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updated:2001.7.31
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