![]() |
||
![]() |
![]() |
![]() |
米国のテロ事件にて考える「協働のリスク」
荒木 裕一(アリックス・プロジェクト・マネジメント 代表取締役) 最近一人で仕事をしていて思うのですが、今回のようなテロ事件があると”集まって仕事をするリスク”を経営上もっと計算すべきかなと思ってしまいます。 三菱村襲撃事件等テロ事件華やかざりし頃の日本からは結局このあたりのリスクマネージメントに関する提言はでず、労働上の集住(シュノイキスモス)が好きな日本的経営が貫徹されただけでしたが、どこが襲撃されても通信ネットワークを存在し続けられるシステム=インターネットを作った米国ですから、産業の時代の組織ではなくインフォメーションの時代に対応できる組織形態も考案していくのかもしれません。 人が組織で仕事をするメリットとして挙げられるものに”協働の利益”と”分業の利益”があります。 証券関係は幻想としての”協働の利益”というところが強く、今回もあの崩落したビルの一つに入っていたソロモンスミスバーニーの旧ソロモンブラザース華やかざりし頃の”ボウルルーム”のようなトレーディングフロアで伝説的トレーダーを中心としたトレーダー達が各々のマッチョを競い合うように腕まくりをしながら一瞬のうちに債券を売り切ってしまうことが理想的な絵みたいな感じが証券関係には未だあります。そこにあるのは一緒に集合して働き結果を出すというある意味”協働”幻想なのでしょう。 日本でも潰れた旧三洋証券の木場の事業所などそれを念頭に置いて作られたのだと思います。 日本企業のホワイトカラーの仕事効率の悪さが指摘され、”インターネットネットを使った仕事の効率性アップを追究すべきである”というどちらかというと表面的な議論が幅を利かせていますが、成果をだしてなんぼという成果主義、アウトプットマネージメントからもホワイトカラーの仕事というのはリスクマネージメントを絡ませて分業の利益を優先させる組織形態による事も考えるべき時期に来ているように思います。この手の組織形態を生かすのに必要なことは、そうした場合での評価方法の明確な定義かなとも思うのです。SOHOとかいうのではないのですが... 今回のようなテロ事件は普遍的主義主張を争う20世紀の”文明の衝突”的争い形態としての軍事力の行使に対して宗教とか言語とか個別の”文化の衝突”と考えた場合、21世紀的な軍事力の行使に対してどうのように向き合っていくかという問題のような気がします。 そしてこれって文化に根ざすだけに人間の習慣とかべったりした人間的な面に目を向けた方法論の再定義かなとも思ったりします。 軍事面から観た場合も”軍事革命”という名前ですでにコソボの戦いで始まっているそうですが、今回のテロ事件もその一つの類型にあり、それは軍事の上での21世紀の課題の”文化の衝突”にすぎないのかもしれません。 大集団としての組織で仕事をすることのリスクと”一人一人を組織する組織論”の必要性、そういう予感を与えてくれる事件です。 ゴチャゴチャした日々の生活と生活の糧を得るという仕事をどのように効率的にマネージできるかという課題です。 ”異化する時間”としてのワーキングタイムの設定はオフィスに通勤することによって達成され、一箇所でミーティングすることでその協働効果が上がるという、効率性を保証するという優れた文化的マネージメント・システムなのかもしれませんが、通勤する、一所に集まって仕事を協働する事のリスクが限りなく大きくなった場合、異なった形式による協働・分業としての仕事形態が要求されるのかもしれません。 そういう予感を持ちました。 【筆者プロフィール】 |
||
updated:2001.09.17
|
|||||||