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メルマガ/vol.02
(1) 連載 エクイティーカルチャー −異文化コミュニケーションとしての投資:
第1回「株式投資は夢のある仕組み」小黒潤一(ジャーナリスト)
(2) GEO Global コロキウムレポート
「変化しつづけるベトナム」 寺田恭子(GEO Global オーガナイザー)
(3) 連載GEO Inside Story:
第2回「GEOの設立の頃」小田康之(GEO Global代表)

 GEO Global Magazine(ジオ・グローバル・マガジン)の第2号をお届けします。今回から,ジャーナリストであり,GEO Globalのメンバーでもある小黒潤一さんの連載が始まります。「投資を異文化コミュニケーションとして,その国境を超えた新しい文化を,地域研究としてGEO流に考える」という野心的な試みです。

 去る7月14日には,地域研究組織GEOがGEO Globalと名前を変えてから,初めてのコロキウムが開催されました。「変化しつづけるベトナム」は,その担当オーガナイザーで当日の司会も務めた寺田恭子さんが,ゲストスピーカーのお話の内容を取りまとめてくださったレポート。寺田さんは,現在東南アジアとアフリカに出張中。その出張の飛行機の中で取りまとられたレポートです。

 GEOのこれまでの話をまとめた連載GEO Inside Storyは,第2回目。GEOが設立された6年前の話です。

GEO Global 代表 小田康之

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★連載:エクイティーカルチャー − 異文化コミュニケーションとしての投資
第1回「株式投資は夢のある仕組み」 小黒潤一(ジャーナリスト)
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 「エクイティーカルチャー=株式文化」という言葉を耳にしたことがあるだろうか? 最近、イギリスの雑誌、economistが頻繁に使うこの言葉。この10年、投資信託という形で、株式や社債を当たり前のように持つようになったヨーロッパの人たちが、株式の所有を、投機的な、一時的な現象でなく進化ととらえ、文化の域にまで高めていきたいという願いが、この言葉には込められている。G7で、この文化に染まっていないのは、日本だけだということで、 外国人は、「Buy Japan 」と叫びながら、日本の株式を買い続けており、最近では、東京株式市場の取引の半分は外国人だと言われる程だ。この連載では、投資を異文化コミュニケーションとしてとらえ、その国境を超えた新しい文化を、地域研究としてGEO流に考える。

 投資が日本に文化として根付かないのは、マスコミと金融機関に大きな責任がある。 外務省の機密費問題で松尾容疑者が逮捕された時に、「松尾容疑者は、公費を『株や競走馬に使い』 」という表現が当たり前のように使われた。日本のマスコミでは、あたかも、株式は、競走馬に投資するのと同じギャンブルという文脈で語られてしまう。同様に、金融機関も、最近しきりに株式への投資を、リスクマネーと喧伝する。この不安定な時代に、わざわざリスクをとろうという発想をする人がいるのだろうか。金融機関が自分で自分の首をしめているにワーディングの典型である。エクイティカルチャーを理解するには、まず、預貯金と株式の違いが、リスクにあるのではなく間接金融対直接金融というシステムにあることを知るのが重要である。

 本来、直接金融というのは、「伸びてほしいな」とか「応援したいな」という会社に、銀行を介在させることなく金を託してみるという、非常に夢のある仕組みなのだ.

■参考)投資信託の残高 対GDP比 (99年)
フランス49% イタリア40% ドイツ39% スペイン33% イギリス29% 日本 10%
(ミューチュアルファンド・ファクトブック2000年版)

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★GEO Globalコロキウムレポート: 第41回コロキウム
「変化しつづけるベトナム」
寺田恭子(GEO Global オーガナイザー)terada@geo-g.com
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去る7月14日にGEO Globalのオフライン行事として開催されました第41回コロキウムの内容を取りまとめました。

当日の模様は,GEO Globalのウェブサイト [活動記録kをでご覧ください

。開催日時:2001年7月14日(土) 2:00−5:00pm
会場:東京都 赤坂区民センター
ゲストスピーカー:角野治美さん&グェン・ミン・トアンさん

■=角野治美さん= 「概論&麻薬対策」■

1.ベトナムの歴史概略

 相互に侵攻、戦いが繰り返されてきたこの地域の歴史を背景に、中国、ラオス、カンボジアら近隣国と複雑な関係にある。今もカンボジアに住むベトナム人の殺害事件が発生していることが端的にこれを象徴している。

 15世紀 当時のチャンパ王国の首都、聖宗により陥落。「京(キン)族」が現ベトナムの北部に住むようになる。[南北では民族構成が異なる]
19世紀前半 グェン朝成立。カンボジアやラオスも県として配下に置く。
1858 フランスによる侵略開始
1945 ベトナム民主共和国独立宣言(46〜54 第1次インドシナ戦争)
1955 南部にベトナム共和国が成立(64に米軍が本格参戦)
1975 ベトナム戦争終了、翌年に南北統一「ベトナム社会主義共和国」
1978 カンボジアに侵攻 (〜89に完全撤退)
1986 ドイモイ政策を公式採用
参考文献:古田元夫『ベトナムの世界史』

2.麻薬問題

◆貧しさと戦争とアヘン:アヘンはかつてから医療面で利用された。年配の男性の中には、戦争中に痛み止めとして使い中毒になった人も多い。特に貧しい北部では、空腹感を麻痺させるために吸入しているということもある。常用者10万人と言われ急増中。1袋5千ドン程度と安価。注射器を利用することもあるので、AIDS拡散にもつながっている。

◆麻薬供給ルート:アヘンのヘロイン化は、ミャンマーやラオスの山岳部で行われ、ベトナムを経由して、カナダ、オーストラリアなどに移住した「越境」を通じて運ばれる。

3.国際社会による麻薬対策 (→ 国連麻薬統制計画 UN DrugControl Programme)

◆Supply Reduction

(1)国境での対策研修:国境警察官らに対し、運び屋の見分け方、端末によるパスポート管理、あやしい人物の通報の仕方等に関して。

(2)他国での対応策について、海外研修を行う。

(3)オピウム/芥子の代替産業を指導: 伝統技能による織物やクラフト類の製作を奨励。観光客向けのデザインにし、販売所を設けて現金収入源とする。

◆Demand Reduction

(1)UNAIDSと協力して注射針を配布:harm reductionアプローチだが、これは注射器使用=麻薬使用を容認することに等しいとして、政府は歓迎していない。

(2)セラピー法: コミュニティによる更生プログラムを支援。

■=グェン・ミン・トアンさん= 「Unrest in Rural Viet Nam」■
※お話は英語で行われ、角野さんによる簡潔な通訳が入りました。

 中央高原に位置するダックラック県およびジャライ県では、今年2月上旬、数々の少数民族が結集して5千から2万人とも言われる規模の抵抗運動が起こり、うち約600名および30名程度の警察官が負傷、最終的に20名が逮捕された。同2県はコーヒーの産地として知られるが、かつては少数民族の住む低開発地と考えられていた。元々コーヒーはベトナムの南部で作られ、気候も民族も違う北部ではなじみの薄い作物だったが、1975年に統一政府がコーヒー生産を奨励して、北部に住んでいた京族を肥沃な中央高地へ移住させるなど、現人口600万人のうち元々の少数民族は100万人、その土地所有率は15%にとどまっている。栽培だけではなく販売能力も高かった京族との格差が広がったが、地方政府は特に気にとめておらず、この格
差について特に対策はとられなかった。

 2000年、過剰供給によりロブスター種の価格が暴落(96年US$1,500→00年$500/トン)したことに伴って生活水準も大きく悪化し、それまで貧しさに耐えていた少数民族も我慢の限界にあった。直接のきっかけは、宗教が禁止されている社会主義国において、貧しさからの救済を求めてプロテスタントの一派に帰依していた農民達のうち2人を警察が逮捕したことから、(1)同2名の釈放、(2)先祖本来の土地の返還、(3)信教の自由、を求める抵抗運動につながった。中央政府も初めて同地における民族間貧富の格差を目の当たりにして驚くことになった。(その他、同事件をとりまく背景は以下のとおり)

◆コーヒー豆のクオリティ: 同地で栽培しているロブスター種は、実は安価で作るのも比較的簡単。さらに少しでも早く現金が欲しいと願う農民が収穫時期よりも早く摘み取ってしまい、質が落ちるため価格がなお低くなってしまっている。政府は最近、市場価格の高いアラビカ種への転換を奨励したが・・・

◆地方役人の腐敗と怠慢: (1)コーヒー豆にしても、指導すべき立場にある地方役人がクオリティコントロールを行わず、農民は適切な収穫時期を知らない・守らないという実態。(2)中央高原における厳然たる貧富の格差について、中央政府に報告もなければ地方レベルでの対策もとらなかった。「肥沃な土地=豊か」としか思っていなかった政府は、他県のダム建設に伴う移住先にも同地を選ぶなど、移住政策を促進していた。(3)人々が貧しくとも地方役人は金持ち−コーヒーの販売経路でも諸段階で手数料を巻き上げ、もはや農民には正規の税等との区別がつかない、予算価格以下の粗悪な資材を使って橋等の建設費を浮かせて懐に入れるなどの現状を住民は目の当たりにしている。

◆亡命希望者: その後の警察の追及を逃れ、3〜4月にカンボジアに脱出した農民は200人と言われる。とはいえカンボジアでは今もベトナムに対する憎悪が強く(cf.角野さんの話)、国連が難民と認定するようカンボジア政府に働きかけて保護しており、うち60人はすでに難民としてアメリカに移住したという。国境では今も、亡命を望む農民を止めるため国境警備隊の監視が厳しくなっているが、カンボジア側で待機している国連職員の助けもあり、7月第1週にも約20名が国境を越えたという情報がある。

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★連載GEO Inside Story: 第2回「GEO設立の頃」
   小田康之(GEO Global 代表・在サンフランシスコ) oda@geo-g.com
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 先日,シリコンバレーでの法律の勉強を終えて帰国する今泉寛君とサンフランシスコで久々に食事をしました。彼は,6年前に私とともに地域研究組織GEO(ジオ)を設立した人物です。

 1995年の春のこと,今泉君と私は,会社は異なるものの共に総合商社に勤め始めて2年目を迎えていました。彼はアフリカ,私はラテンアメリカへの出張から帰国したばかり。商社に勤めていると,世界中の国々と接触の機会は多いものの,やはり,ごく限られた側面からしか見ることが難しい。一方で,できる限り多くの角度から世界の様々な国々や文化を見てゆきたいという思いがありました。そこで行き当たったのが「地域研究」というコンセプトです。

 「地域研究」とは,Area Studiesの日本語訳です。ここで言う「地域」とは,大雑把に言うと,世界の中の国であったり,特定の民族が居住する場所であったりします。隣近所の地域社会などと言うときの地域とは,ちょっと違います。

 現代の学問は,高度に細分化されていますが,その細分化されたさまざまな専門分野(経済学,政治学,社会学,歴史学など)を活用して総合的,学際的に特定の地域の姿を描き出して行こうという試みが「地域研究」です。こうして,多様なバックグラウンドを持つ人々が集う会の世界認識の方法として,地域研究を掲げることにしたのです。

(GEOを設立して間もない頃に書いた「GEOの目指す『地域研究』とは」という拙文を参照ください。)

 その年の5月の末には,会のコンセプトや内容を私が具体的に文書化しました。その後発足パーティーを,7月29日に開催することが決まり,多様なバックグラウンドの人々が集まる勉強会・交流会ということで,今泉君と私は友人たちに地域研究組織GEOの立ち上げと発足パーティーの開催について告知してゆきました。

 発足パーティーは,四谷にある上智大学の会館を使い,立食パーティー形式で開催しました。参加したのは,さまざまな分野で活躍する若手の社会人を中心に60人ほど。これが,コロキウムと呼んでいる講演・勉強会を毎月開催してゆく出発となったのでした。

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updated:2001.7.31