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メルマガ/vol.07
2001.9.29
(1)中国で考える今回のテロ事件、そして「アメリカ的なるもの」
有留 修(月刊ビジネス情報誌『上海商流』編集顧問・在上海)
(2)アメリカ合衆国の政策決定 −地域専門家の役割−
小田 康之(GEO Global 代表・在サンフランシスコ)
(3)連載 エクイティーカルチャー −異文化コミュニケーションとしての投資:
第2回「大リストラ時代の株式投資」小黒 潤一(ジャーナリスト)

 今号は,米国でのテロ関係の論考を2本,そして連載1本という構成です。

 まずは,香港にいらっしゃる有留さんからの問題提起。有留さんは,大学,大学院と米国でのご経験も豊富でいらっしゃいますが,今回は香港から中国からの視点も交えての論考です。

 2本目はサンフランシスコで綴った拙文。翻るあまたの星条旗を目にしながら,ベトナム戦争を遂行したマクナマラ元国防長官の言葉の意義を今回の米国の動きにおいて考えます。

 3本目は,ジャーナリストの小黒さんの連載第2回目。パンドラの箱が開けられたかのような「日本企業」の大リストラを前に,悲観的になるのではなく,投資がそのリスクヘッジの手段たりえることを考察しています。

★有留さんの論考の最後に他のGEO Globalメンバーからの意見を求めることが書かれていますが,今回GEO-Gメンバー用にあらゆる意見交換・情報交換のためのメーリングリストを開設しました。参加ご希望の方はmember-request@geo-g.com 宛にタイトルを subscribe と記入の上、メールしてください。自動でメールの投稿と受信が可能となります。

GEO Global 代表 小田康之(一時帰国中の東京にて)


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★中国で考える今回のテロ事件、そして「アメリカ的なるもの」
有留 修(月刊ビジネス情報誌『上海商流』編集顧問・在上海)aridome@sh163.net
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 今回のテロ事件に対して、中国の一般大衆はおおむね「ざまあみろ」と快哉を叫んでいる向きが多いと思います。もちろん、国の指導者が公の場でそう発言するわけはありませんが、本音の部分ではそう思っている可能性が高いと思われます。普段から、ロシアなきあとの仮想敵国とみなされ、アメリカの「覇権主義」に異を唱える中国であれば当然の反応と言えるかもしれません。

 発展の真っ只中にある、この中国にいると、アメリカや日本などが大騒ぎしているテロ事件と報復がまったくの「他人事」のように思えます。Business as usual...人々は普段通り、仕事に、金儲けに相変わらずせっせと励んでいます。アメリカの心配、恐怖感、報復への高まる感情がすべて遠い世界の出来事です。

 非常に稀有な世界です。この世界同時不況(そして、同時テロの危険性)の時代、中国だけが「イケイケドンドン」。いまの経済発展が止まる気配はまったくありません。に、この上海は年率10%の成長がこの10年続いており、人々の将来に対する期待と希望には大きなものがあります。

 そこで見たアメリカの恐怖…正直、自分のこととしてとらえるのが非常に難しい。アメリカにいる友人はメールで、アメリカにいま「見えざる恐怖感」が広がりつつあると指摘しています。いつ、どこで、だれが、どのような方法で襲ってくるかもしれない。アメリカ本土を巻き込んだ目に見えない敵(恐怖)との戦いが、いままさに始まろうとしています。

 でも、この恐怖感、どこかで聞いたことがあるような気がしませんか?そうです、ベトナム戦争中のゲリラ戦でアメリカ兵が抱いた恐怖心です。民間人と兵士の区別がつかないため、いつ、どこから、だれが攻撃してくるかわからないという恐怖に絶えず兵士は襲われ、心理的な消耗に悩まされたことでしょう。ベトナムから帰還してもなお、その恐怖心から悪夢や幻想に悩まされる人々がいることは、映画などを通して、われわれも知るところです。

 うがちすぎかもしれませんが、そのベトナムの恐怖がいま、本土に暮らすアメリカ人に襲いかかってきたと言えないでしょうか。いままで本土が戦場となることのなかったアメリカにとっては(ハワイを除き)、まさに晴天の霹靂です。ITを推進力とするニューエコノミー状態が10年近く続き、わが世の春を満喫していたはずのアメリカに突如襲った身近な死の恐怖…この落差には、人事ながら愕然とさせられずにはいません。

 今回の中国における「冷めた反応」について、最初は、「あんたら、ちょっと冷たすぎはしないか?」と思っていた小生ですが、いろいろ調べていくうちに、こうした反応が中国だけではないことに気づくこととなりました。

 あるアメリカのニュースサイトに載っていた記事です。そこのアメリカ人記者が多国のジャーナリストと一緒に円卓会議に出席したところ、「同情を寄せられるどころか、みんなに責められ、なかには自業自得だと言う人もいた」ので愕然としたというのです。つまり、「アメリカ一人勝ち」状態に、他の国が嫉妬していたということなのでしょうか。確かに、そうした側面はあると思います。実際、アメリカの政策に「独り善がり」な特徴があることも確かですから。

 日本にいる友人の一人から「アメリカの独善的な行動に、なぜわれわれがついていかねばならないのか」という憤慨する内容のメールが届きました。彼のパートナーはカナダ人の女性で、彼によると、カナダはアメリカに同調していないということでした。「日本では、カナダのように同調しない国があるといった情報は流れない」と彼は言います。日本のメディアの現状がどのようなものか、こちらにいる小生にはよくわかりませんが、おそらく彼の懸念通り、一つの色で塗り固められている可能性は否定できません。

 ただし、アメリカの外交政策を学んだ者として言えるのは、今回の事件に対するアメリカ政府の反応として、それ以外に選択の余地はなかっただろうということです。基本的にマッチョな国ですから、大統領をはじめとして国家の指導部が今回のテロ攻撃に対し何もしないでいるということは考えられません。まず、世論が許しません。そして、世界最大の宗教国家であることからして(これについては以前、GEOの勉強会で発表した通りです)、アメリカにとって中途半端な対応は許されません。

 太平洋戦争の際にもそうでしたが、アメリカにとって戦争とは「神VS悪魔」の戦いですから、悪魔を徹底的に破壊するまで続くと思います。フセインを捕らえられなかった湾岸戦争の経験もあり、今回は余計にそうでしょう。それに、今回は史上初めてアメリカ国内が攻撃の対象となったわけですから、さらに復讐への機運は高まることでしょう。

 外地から見ると、何もそこまでと思うでしょうが、アメリカの国としての成り立ちを考えると、別の対応は無理でしょうね。ある意味、アメリカの悲しい性だと思います。ちょっと次元は異なりますが、大国としての「責任」を感じるがゆえに、ハイチやルワンダなどという別にアメリカの国益に何ら関係もない地域であっても、出て行かなくてはならない。たとえ、大統領が個人的にはしたくなくても、しなければならないときがあると思います。こういうとき、大国でなくてよかったと思うのは小生だけでしょうか…

 以前、日本の景気が最高潮を向かえていたとき、日本大国論のようなものが盛んになりましたが(国連の常任理事国入りもこのからみでしょうか)、この「大国の責任、辛さ」を十分理解したうえでの議論なのか、疑問に思ったものです。

 おっと、ちょっと話がそれました。

 今回の事件を通じて露呈してきた、このアメリカ的なるものに潜む弱点、それはずばり「異文化に対する鈍感さ」だと思います。

 今回については、もう遅いですが、基本はリビアだろうが、イラクだろうが、イランだろうが、彼らがアメリカから望んでいるのはずばり「respect」だと思います。国際社会におけるちゃんとした存在であるとの認識をアメリカから示してもらいたいのだと思います。それが得られないから、悪さをする。いわば、親の愛情を受けられない子どもがダダをこねるのと同じです。

 元大統領のニクソンはその著書のなかで言っていました。「ソ連も中国もそれなりのrespectが欲しいのだ」と。

 それは、大国であれ、小さな国であれ、同じだと思います。タリバンだって、それなりに遇していれば、それなりに常識の範囲内での行動をとるはずだと個人的には思います(間違っているかなあ…)。みんな、アメリカという「親」に認めてほしいのです。このあたりは、戦後の日本におけるアメリカに対する「片思い」を見ても一目瞭然ではないでしょうか。世界のどの国であれ、どの民族であれ、アメリカにそれ相応の「respect」を見せてもらいたいと思っているのです。

 今回の場合、アメリカのイスラエルに対する軍事・経済的な支援、その結果としてのパレスチナ(アラブ)攻撃といった現実的な問題もあるでしょうが、心の奥底にはいま述べたイスラムに対する「respect」の欠如が遠因になっているのではないでしょうか。

 まあ、それも難しいでしょうね。かの地に2度住んだ経験からしますと、アメリカは多民族、多文化国家でありながら、その多様性を十分活かしきれていないのではという疑念が常にあります。何といえばいいのでしょう、異文化に対する鈍感さとでもいえるでしょうか。そうしたアメリカ人に注目してもらうには、テロという非常手段をとるというのも、追い詰められた心理状況のなかでは可能なのでしょうね(もちろん、その行為を肯定しているわけではありませんからね。念のため)。

 これは、非常に根の深い問題だと思います。

 これを機に、アメリカがもう少し冷静になって、こうした異文化に対する鈍感さという問題について深く議論してもらえることを期待したいのですが…。まあ、それは望みすぎというものでしょうかね。

 これを機にもう少しイスラムに関して勉強したいのですが、ここだと簡単に本が手に入らない…だれかGEOのメンバーでイスラムに詳しい人いませんでしたっけ?今回のテロ事件にからめて、イスラム側からの見方について教えてもらいたいものです。

 どなたか、お願いします。

【筆者プロフィール】は,次のウェブページの末尾をご覧ください。
現在の有留さんのメールアドレスは, aridome@sh163.net です。
http://www.fsinet.or.jp/~geo/nletter/contents/nletter02/nletter023.htm

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★アメリカ合衆国と政策決定−地域専門家の役割−
小田 康之(GEO Global 代表・在サンフランシスコ)
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 未曽有の大惨事を目にして,愛国心が国中に充満している。ここまで国中が一つの方向に向いたアメリカを筆者は見たことがない。

 ここサンフランシスコの中心に位置するユニオンスクエアに面したデパートの壁面には,巨大な星条旗が掲げられた。付近は大勢の観光客が行き交う場所だ。サンフランシスコ名物のケーブルカーにも国旗のポスターが目に付く。新聞の広告にも全面がアメリカ国旗で,「これを切り取って窓に掲げよう」というものさえある。

 ニューヨークとワシントンDCで大規模テロが発生した9月11日,その衝撃が走るや否やサンフランシスコも直ちに警戒態勢に入った。町の景観のシンボル的な存在で先端が尖ったトランスアメリカピラミッドビルは終日閉鎖。ゴールデンゲートブリッジは歩行者の通行が遮断され,市役所などの市の機関も固く扉を閉ざした。

 事件直後のFBI長官の記者会見を見ていて,筆者は少々驚いた。アラビア語とペルシャ語の話者のボランティアと求めると呼びかけたからである。ボランティアであるから,その扱う情報の内容はたかがしれているであろう。それにしても,この事態に及んでわざわざ公に呼びかけなければならないほどアラビア語やペルシャ語で情報解析のできる人材がアメリカの政府機関にいないのか。

 サンフランシスコ・クロニクル紙によると,昨年全米の大学でアラビア語を専攻として卒業した学生はわずか10人だという。アラビア語を母語とする人々がアメリカには多数いるにはいるが,母国との感情的なつながりがあるため,敵としての情報解析のような微妙な作業には不向きだという。このような仕事をこなせる中東・中央アジア言語に通じたアメリカ人はごくわずかだというのだ。

 アメリカ合衆国は,政策科学としての地域研究の牙城ではなかったのか。

 これで思い出すのは,ケネディ政権とジョンソン政権で国防長官を務めたロバート・マクナマラの言葉である。自らが当事者として深く関与し「マクナマラの戦争」とさえアメリカでは言われたベトナム戦争を振り返って「我われは間違っていた。恐ろしいほどに間違っていた。」と言う。

 自らの誤りを冷静かつ誠実に認め,いかに間違っていたのか,そこからどのような教訓が導き出されるのかを説明するために書かれたのが,1995年に出版されたIn Retrospect(邦訳『マクナマラ回顧録』)である。

 同書の中でマクナマラは述べる。「我われの判断の誤りは,その地域の人々の歴史,文化そして政治に対する根の深い無知とその指導者の性格と性癖に対する無知であった。」

 またこうも分析する。「自らの信念と価値観のために戦い死ぬことを動機づけるナショナリズムの力を過小評価した。」

 つまり政策決定に関わる高官レベルでは,当該地域を知悉した専門家が存在せず,その無知がアメリカをしてベトナム戦争に泥沼的な介入を進めさせる大きな要因の一つとなったと分析しているのだ。

 今回の大規模テロは,アメリカの中心が実際に攻撃を受け,かつてない多数の犠牲者を出した。その衝撃はアメリカの経験したことのないものとなった。そしてこれからもさらに攻撃される可能性が指摘されている。そのことからも,反撃をすることやむを得ないであろう。

 しかしその目的は,特定の国家との対峙ではなくテロの根絶である。オサマ・ビン・ラディンとそれをかくまう国家への攻撃という対症療法のみでは,当然の事ながら達成不可能な目的だ。

 非常に困難な問題ではあるが,これまでブッシュ政権が真剣な取り組みを見せぬままとなっているパレスチナ問題の解決も含めた対処が必要になる。今回の相手はテロリストとはいえイスラム過激派という衣をまとっているだけに,その対処を一歩誤ればアメリカおよびその同盟国がイスラム世界と対峙するような事態となり,ベトナム戦争以上の惨事も起こりかねない。

 このきわめて微妙な政策決定と遂行の過程に,マクナマラがベトナム戦争の誤りとして指摘したような無知が今回は生じていないであろうか。当該地域や組織を知悉した専門家も力を発揮し,あるいは指導者がそれら専門家にも耳を傾けた上で政策決定がなされているであろうか。

 翻るあまたの星条旗を目にしながら,そのような不安を禁じ得ない。

【筆者プロフィール】は,次のウェブページをご連絡ください。http://yasuoda.com

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★連載 エクイティーカルチャー −異文化コミュニケーションとしての投資:
第2回「大リストラ時代の株式投資」 小黒 潤一(ジャーナリスト)
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 日本企業、というか、「21世紀日本がこけても我が社は生き残ろう」という「日本企業」が、本格的なリストラを始めた。東芝、富士通、日立、いずれも1万人を超える規模での人員削減を発表しており、これに対するマスコミの論調は、「終身雇用制の崩壊」と、軒並み悲観的である。

 悲観的になるのは簡単だが、この大リストラ時代に、個人は、どう対処すればいいのか。私は、「資格」というきわめて安直で胡散臭い方法ばかりが喧伝されるのでなく、投信信託やポケット株を利用した株式投資も、ひとつのリスクヘッジになることを、政府やマスコミはもっと知らせるべきだし、奨励すべきだと思う(*1)。

 というのも、株式市場では、会社の人員削減は、会社の非効率な部分の排除と受け止められ、長期的な株価上昇の重要な要因になるからだ。

 同時多発テロ事件後のニューヨーク株式市場。一週間で半値近くまで暴落したアメリカ航空関連株ですらも、アメリカン航空、ユナイテッド航空、ボーイングが、矢継ぎ早に2-3万人規模の人員削減策を打ち出すと、一時、反発局面を迎えた。

「stake holder」という概念がある。「企業をとりまく利害関係者」という意味で、企業と個人の関わり方には、(1)従業員(2)消費者(3)株主(4)地域社会の4通りあるという概念だ。日本企業は、株式の持ち合いによって、(3)株主への責任を回避し、もっぱら、(1)従業員としての個人を厚くもてなすという企業戦略をとってきたわけだが、グローバル社会の中で、もはやこの方針維持は不可能と判断、冒頭の大リストラとなったわけである。となれば個人も、(1)(2)だけで企業と関わるのでなく、(3)(4)で企業からどう利益を得るのかを考えなければならない。アメリカが広めたグローバル資本主義というのは、とりあえず、そういう構造になっている。

*1 90年代ドイツ政府は、低所得者の株式や投信購入に一種の補助金をつけて、間接金融から直接金融への移行を進めた。

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updated:2001.9.29