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エッセー/アジア
カンボジアからの電子メール(4)
タイの演劇、政治、料理(?) をめぐる雑感
笹川 秀夫(日本学術振興会特別研究員)

 たとえことばが分からなくても、演劇や踊りといった舞台芸術に心を動かされること、ありますよね。ふつうなら、その美しさに心を打たれたとかってことになるのでしょうか。しかし、美しいと感じるのは主観であって、主観を記述しても感想文にしかならないなどと、ヘソ曲がりなぼくは考えてしまいます。では、そんなヘソ曲がりなぼくが今回は何に心を動かされたかというと、タイで見たお芝居に込められた政治性の高さについてです。

▼フランスで資料収集のはずが、タイとカンボジアに

 メールマガジンにもあれこれ投稿させてもらってきましたが、10月にカンボジアで1ヶ月調査を行ない、11月上旬バンコクに数泊して帰国しました。11月末からはフランスで資料集めといううつもりが、南仏エクサンプロヴァンスにある公文書館のウェッブ・サイトを見たところ、「スト中につき、混乱しています。開いているかどうか、毎朝9時半に電話せよ」とのこと。政権交代を期に、文化行政担当者への締め付けが始まって云々というのが理由のようです。

 これはフランスへ行っても無駄だということで、2−3月に行く(来る)予定だったタイとカンボジアでの調査を先にしました。ということで、11月25日、20日前に発ったばかりのバンコクに着。われながら何をやっているんだと思わなくもないですが、深くは考えないようにしましょう。

 カンボジアに入る前に、タイでの調査期間を2週間ほど作り、中部タイと東北タイをあちこち回ってきました。その間、移動の基点にしたバンコクで見たお芝居が、問題の政治劇です。

▼ラーマ6世と現在のタイ人のカンボジア観が反映する芝居

 12月2日、国立博物館内のステージでラーマ6世王作のお芝居をやるというので、出かけてきました。なんか宮廷物らしいなあと見ていたら、なんと、アンコールの侵略からスコータイを守るというのが劇の筋です。これは、カンボジアを専門にする者としては、分析的に観劇せざるをえません。どの辺が分析のポイントかといえば、ラーマ6世のカンボジア観と現在のタイ人のカンボジア観がどのように反映されているかという点になるでしょう。しかし、この両者がなかなか截然とは区別しがたい。ラーマ6世の脚本と現在の脚本を比較して、どんな変更が加えられているかなんてことを論じた研究でもあればいいのですが、そういったものにはお目にかかったことがありません。面白い研究テーマだろうとは思うんですが。

 ともかくも、ぼくが見たお芝居のなかで、クメール人がどのように描写されていたかに関して、気になった点をいくつか記します。

 スコータイとアンコールの戦争が題材なので、アンコール側のクメール人の兵隊が登場します。そのクメール兵が着ているベストに、今日のカンボジアでも目にするような護符が描かれているんですが、よく見ると、クメール文字およびクメール文字風の文字が書かれています。また、クメール軍の将軍がスコータイにスパイとして潜り込むものの、身元がバレたため、呪術でスコータイ兵を眠らせて脱出するという場面も
ありました。

 これら護符や呪術というのは、ラーマ6世当時よりむしろ現在のタイにおけるカンボジア観に由来するだろうと思います。今日タイでは、教理教典に基づくものだけがまともな宗教で、護符、お守り、呪術、降霊術なんてのは迷信であり、無知蒙昧な大衆がだまされているだけだという宗教観が都市部を中心にどんどん広まっていると聞きます。さらに、こうした宗教観は国内に対してだけでなく、隣国カンボジアに対しても適用可能ということのようで、カンボジアの仏教は呪術性が強いから遅れているなどと、既存のカンボジア蔑視と結びついているらしい。お芝居に登場したクメール兵の描写も、こうしたカンボジアに対するタイ側の一方的な見方との関連で理解すべきでしょう。

▼芝居の中で融合する2つのナショナリズム

 では、タイ人のお客さんたちは、こんな分析的な観劇をしたかというと無論そんなはずはなく、素直に今日のタイという国民国家とスコータイとを重ねあわせたはずです。

 そもそも 100年近く前、当時は皇太子だったラーマ6世がこんなお芝居を作ったこと自体が、ナショナリズムの高揚を目的としていました。ラーマ5世、ラーマ6世の治世(それぞれ、日本の明治時代と大正時代にほぼ相当します)は、国王自身による上からの近代化と国民統合が進められた時代です。しかし、1932年の立憲革命を経て、30年代末からのピブーン政権下では、国民レベルでの西洋化、近代化が模索され、国王が国民統合の象徴とされることはなくなりました。その後、50年代末からのサリット政権以降は、ピブーン政権期とは異なる国民統合のあり方を目指したことにより、国王の権威が政治的に高められることになりました。その結果、ラーマ6世による上からのナショナリズムと、現在のタイにおけるナショナリズムが、このお芝居のもつ政治性のなかで融合することになったわけです。

 では、このお芝居は頻繁に上演される演目なのかどうかが、次なる疑問として浮かびます。上演されたのが12月2日、それにつづく12月5日は国王誕生日で、ナショナリズムが刺激される時期だからこのお芝居が選ばれたのかとも考えました。でも、タイ教育省芸術局が発行した舞台芸術のスケジュールに関する小冊子を見ると、11月にアユタヤでもこの演目が上演されたことが知られます。どうやら最近のタイでは、年中ナショナリズムが高揚しているらしい。

▼「ポストモダン」の解釈

 年中高揚するナショナリズムとの関連ということでは、今年タイで大ヒットした『シースリヨータイ』という映画が想起されます。こちらは、ビルマ軍の侵攻からアユタヤを守った王女様を主人公とするお話。いうまでもなく、観客はアユタヤを今日のタイと重ねあわせることで感情移入するという作りです。残念ながらぼくは劇場公開を見逃してしまったのですが、タイを専門にしている友人によると、「お前、ハーフだろー」という俳優も出演していたりして、突っ込みどころのたくさんある映画だったそうな。

 「ポストモダン」なんてことが言われるようになって、ずいぶん経ちます。これは、近代という時代はもう終わったと解釈すべきではなく、国民、国家、国境などという近代が創り出し、かつ自明のこととしてきた前提が疑われる時代になったと解釈すべきことのようです。日本には日本人が住み、みんな日本語を話すという前提をもはや信じ続けることはできないというのは、日本にいても感じますよね。どうやら、タイでも同様の状況が進行しているのではないでしょうか。自明とされてきた前提が揺らぐことへの不安から、ナショナリズムを刺激するような映画やお芝居が流行するように思えてなりません。そうしたナショナリズムが、新たな差別意識や歪んだ歴史観を生むのなら、決して歓迎すべき傾向とは言いがたいですが。

▼せっかくの日本語のメニューが

 さて、上記のお芝居以外で今回印象に残ったものとして、外国人旅行者が多く集まる地区の食堂にあったメニューがあります。日本人観光客向けに日本語が併記されていて、そこに「トム・ヤム・クソ」とあるのを見かけました。惜しい、最後の最後で・・・。さすがに、注文する気にはなれません。

 日本語をメニューに書くこと自体は、企業努力として評価すべきであって、非難しようとは思いません。日本語はもちろん、英語すらなかなか通じない昔のタイを懐かしむなどという無駄な行為をする気は毛頭ありません。タイ人が望めばタイは変わるし、タイ人が望まなくてもタイは変わります。何が変わったのか、どんな力が働いて変わったのかを観察し、可能ならば記述すること、それがわれわれ観察者のなすべきことだと考えます。だから、日本語を書こうという努力は認めましょう。でも、さすがに「トム・ヤム・クソ」はマズい(不味い)と思う。どうせ書くなら、もう少し頑張れ。

【筆者プロフィール】
日本学術振興会特別研究員。GEOでは、次のコロキウムのゲストスピーカーを務める。
●GEO 1997年10月 第19回コロキウム「カンボジア文化」
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updated:2001.12.11