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サンティアゴ・デ・クーバ
渡辺真帆(コミュニケーション・コーディネーター)
10月20日
 ラスパルマスを発ってから9日目、ついに我々の船は南米に到着した。南米での初めの寄港地はキューバ南東にある都市、サンティアゴ・デ・クーバ。北にはカストロやチェ・ゲバラがゲリラ戦を展開したキューバ最高峰のシエラ・マエストラ山脈がそびえ立ち、南には真っ青なカリブ海が広がる美しい都市である。約37万人の住民(サンティアゲーロ)は首都ハバナの人よりも肌の色が濃く、革命戦争が始まった「革命の里」の住人としてキューバ中の人から憧れの眼差しを受けているそうだ。ピースボートは今回はハバナではなく、このサンティアゴ・デ・クーバに二日間滞在する予定になっている。
 朝7時から船内のホールで乗客600人分のパスポート返却の手伝いをしなければならなかった私は、仕事をしながらまだ寝ぼけ眼で窓の外の景色をちらちらと眺めていたが、サンティアゴ・デ・クーバへの入港時に右手にモロ要塞が見えてきた時には、新鮮な感動を覚えた。モロ要塞は海賊からの攻撃を防ぐために、スペイン植民地時代の17世紀に建てられた要塞で、何世紀もたった今でも堅牢そうな様子が伺える。ようやくキューバに着いたんだ、とワクワクしてくる。

 ピースボートは今回も様々なオプショナルツアーを用意しているが、私が担当になったコースはBコース“カリブの太陽とビーチ満喫”という25,000円の高級一泊コース。タイトルからして、大変魅惑的である。何を隠そう、実は先日このリゾートコースを巡ってCCの間では熾烈なジャンケン大会が行われた。CCはたった一人しか同行できないと言う条件で、皆これまでに出したこともないほどのやる気を出してジャンケンをし、見事勝ったのが私である。いかにもピースボートらしい交流コースも好きだが、時にはのんびりリゾートコースに行ってみたいと常々思っていた私は、勝った時には思わず勝利の雄叫びをあげてしまった。

 船を降りると早速現地のガイドさんと行程の打ち合わせをする。考えてみると、キューバの人と言葉を交わすのは初めてだと気づき、思わす背筋をしゃんとする。私が通訳として乗り込むバスのガイドさんはまだ20代後半くらいの美しい女性で、とても上品で丁寧な英語を話す人だ。お客さんを乗せてリゾートホテルまで向かう2時間ほどの間、彼女はバスの中でキューバについて色々な話をしてくれた。キューバ革命を率いた魅力的なヒーロー達、ソ連崩壊後の経済危機、アメリカからの理不尽な経済制裁、そして共産主義のモデルのような社会。初めは眠そうな顔をしていたお客さん達も、聡明な彼女の話にどんどん惹き込まれて行ったようだった。

 実はピースボートに関わる前はキューバという国についてほとんど知識のなかった私は、事前の勉強会で驚いたことがたくさんあった。得にアメリカで3年近く生活をした私は、キューバを訪れることなど夢にも思っていなかったし、キューバの側に立って物事を考えることもなかった。社会主義という社会に対しても、どちらかと言うとあまり良いイメージを持っていなかったと思う。

 まず一番驚いたことは、レーニン主義の源泉を地で行っているような、スーパー社会主義国家という事実。キューバに生まれた全ての人に無料で与えられるレベルの高い教育は国民の識字率90%以上という数字を打ち出し、そしてファミリードクター制度に代表される医療システムは、国民がいつでも無料で医者にかかり、薬をもらい、入院できるという理想的なものだ。ちなみにキューバの医療は大変高度で、キューバ国内外で医師達は大活躍をしているようだ。チェルノブイリ原発事故で犠牲になった子供達をまとめてキューバに呼び寄せ、カリブ海に面した環境の良い施設で現在に至るまで全て無料で治療を施しているのも、キューバの医師達である。また、キューバ国民は全て登録カードというものを持っており、そのカードで誰でも国から安いお金で必要な食料をもらうことができるため、飢え死にをする人はいない、とガイドさんは言う。

 バスの中では彼女が更に、経済難を乗り越えるためのキューバ政府の様々な政策について話してくれた。キューバにとって大打撃であったソ連崩壊後は、持続可能な社会を作るため、国外からの援助に頼ることなく自国のみの生産で間に合わせるようにと、政府が得に農業を斡旋していると言う。目に鮮やかな緑の農園を車窓から眺めていると、すれ違うトラックや農家の壁に描かれたチェ・ゲバラの似顔絵が目に飛びこんでくる。ますますキューバにいるのだなあと実感させられる。

 バスの中でキューバについてしっかり勉強した一行は、お昼前頃カリブ海に面したリゾートホテルに到着。これが見事なホテルで、人気のないプライベートビーチにはヨットが浮かび、プールサイドでは生バンドのサルサ演奏、しかもホテルの敷地内どこのバーでも飲み放題である。値段のせいかツアー内容のせいか、お客さんは年配の方が多く、仕事もかなり楽である。お客さん全てのチェックインが無事に終了した後は、翌日まで仕事もなしと言うことで、水着に着替えて早速ビーチに出てみることにした。

 沖の方で遊んでいるお客さんを尻目に、サメが怖い私は膝くらいまで恐る恐る海につかり、気分だけカリブ海で海水浴、を楽しんでみた。でもやはり最高だったのが、敷地内どのバーでも飲み放題というところだろう。ちょっとプールで泳いでは、水着のままバーに行ってクーバリブレ(ラム、コーラとライムのカクテル)や、モヒート(ラム、レモンとミント、砂糖のカクテル)をガンガン飲み、普段船の上で船酔いのため全く飲めない鬱憤を見事に晴らした。

 その夜は美しい星空を眺めながらホテル主催のキューバンダンスを楽しみ、身も心ものんびり。昔家族で行った美しいフィリピンの島を思い出しながら、その夜はクイーンサイズのベッドでスヤスヤ眠った。

 翌日はモンカダ兵営など、キューバ革命の舞台となった場所を観光し、帰船。キューバのことも勉強になったし、なにより身も心もリゾート地ですっかり元気になって、とってもご機嫌なマホであった。
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updated:2002.11.25