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メルマガ/vol.09
2001.10.22
Contents

(1)カンボジアからの電子メール(2)カンボジアのムスリム チャム人とは
  笹川 秀夫(日本学術振興会特別研究員)

 前号に続き,笹川秀夫さんのカンボジアからの電子メールをお伝えします。今回は,カンボジアのムスリムのほとんどを占めるチャム人とは何か,そしてその国内での立場は,についての大変興味深い解説です。

 また,カンボジア滞在中ならではの現地情報や同時多発テロについての反応も伝えてくださっています。必読です。

小田康之(サンフランシスコにて)

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★カンボジアからの電子メール(2) カンボジアのムスリム チャム人とは
  笹川 秀夫(日本学術振興会特別研究員)
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 前回に予告したとおり、カンボジアのムスリムについて書きましょう。カンボジアでムスリムといえば、そのほとんどが人口の4%(約40万人)を占めるチャム人です。チャム人とは、17世紀ごろまでベトナム中部から南部にかけて存在したチャンパー王国の主要民族で、ベトナムの南下による王国崩壊と離散を経て、その末裔がカンボジアにも暮らしています。

 では、少数民族の地位に貶められた亡国の民と見なすべきかというと、どうもそうではないらしい。たとえば、カンボジアの内戦前には、税関の利権をチャム人出自の有力な一族が押さえており、国王シハヌックの王子で現在フンシンペック党党首のラナリット(正確には、ラナルット)が、その一族出身の女性を妻としています。したがって、チャム人にはフンシンペック支持者が多く、1998年の総選挙の際には、フンシンペックの地盤を切り崩そうと、フン・セン(正確には、フン・サエン)率いる人民党から相当な額がチャム人に流れたようです。

 お金ということでは、中東から(過激な主張や行動をする団体も含めて)チャム人への援助も近年とみに目につきます。モスクやアラビア語学校が各地に建設され、メッカ巡礼も援助によって行なわれています。

 このように活発な活動も見られるチャム人に対して、マジョリティを占めるクメール人の一般的な認識はというと、どうも国内に有力なマイノリティをかかえているという意識はないように見えます。クメール人がチャム人に対して用いる呼称に、「クマエ・イスラーム(イスラームのクメール人)」というのがあります。チャム語はオーストロネシア語族に属し、マレー語やインドネシア語に近く、クメール語が属すモン=クメール語族とは異なります。だから、チャム人を「クマエ」と呼ぶことには問題があるわけで、チャム人もこの呼称を嫌がります。しかしクメール人の側は、「イスラームのクメール人」と呼ぶことで、チャム人も「われわれ」の中に取り込んだ気でいるらしい。とはいえ、クメール人によるマイノリティへの差別意識は厳然と存在するんですが。

 外国人(とくに研究者)の間では、「カンボジア」は国家や国民の名、「クメール」は民族や言語の名と区別されたりします。しかし、カンボジア語で両者に相当する「カンプチア」と「クマエ」が同様に区別されているとは言いがたい。上記の「クマエ・イスラーム」は、「クメール人」を国民の意味で使っています。逆の例を挙げましょう。「カンプチア・クラオム(下のカンボジア人)」という言い方があります。この語は、ベトナム南部のメコン・デルタに住むクメール人、つまりクメール系ベトナム国民を指します。この場合には、「カンボジア人」が民族名称として使われているわけです。

 国民形成の過程において、民族意識と国民意識がゴチャゴチャになるというのは、国民としての完成形のひとつといえるでしょう(「日本人」とは、民族の名称なのか国民の名称なのか、よくわからんことを想起されたし)。ですが、国民というのが想像の産物である以上、該当する条件を挙げて「われわれ」を積極的に定義することはできず、「やつら」と比べて「われわれ」はここが違うという形で、「他者」を設定する必要があります。カンボジアの場合、1930年代から中国系やベトナム系の住民による商業支配を批判することで、「やつら」と「われわれ」に対する意識が形成されてきます。だから、「やつら」に含まれるのはあくまで中国系やベトナム系の住民であり、「クメール人」や「カンボジア人」を国内のマイノリティや国外のクメール人に適用することも可能なわけです。

 さて、今回のテロ事件および空爆に対するカンボジアのムスリムの反応ですが、今のところ空爆反対の運動は起きていません。しかし、他国のムスリムが反対運動を起こしていることを知った宗教省は、国内のムスリムが今回の事件に関して、さらには政治全般に関して議論することを禁じるという通達を出しました。さすがにこれは問題だと思われたらしく、この通達は政府が直ちに取り消しましたが。

 目下のところ、カンボジアで問題視されているテロ事件の最大の影響は、観光客の減少です。それに輪をかけて、観光に打撃を与えそうな出来事が10月中旬に2つありました。王立カンボジア航空に出資していたマレーシアのヘリコプター会社が撤退し、機体も引き揚げてしまったため、飛ばす機体がなくなったのが1つ目。もう1つは、アンコール遺跡近郊の街シアム・リアプ(いわゆるシェムリアップ)の空港で、飛行機が滑走路を外れてぬかるみに突っ込み、滑走路を数日ふさいで使用できなくした事故です。減少したとはいえ、アンコール遺跡目当てに来ていた観光客がシアム・リアプに取り残され、軍のヘリコプターで首都プノンペンまで運んだとのこと。

 現在のカンボジアで観光といえば、やはりアンコール遺跡に極端に集中しています。南部には綺麗な海もあるので、もっと国内各地にお金が落ちるような観光開発はできないものかと思うんですが、カエプという南部の街は内戦前に海辺の別荘地だったのが、現在では別荘の遺跡と化していると聞きます。それはぜひ見たいと考え、20日からの週末、公文書館が休みなので資料集めを中断し、南部に出かけてまいります。公文書館での調査とは・・・続きはお次の回にて。

【筆者プロフィール】
GEOでは、次のコロキウムのゲストスピーカーを務める。
●GEO 1997年10月 第19回コロキウム「カンボジア文化」
http://geo.jpweb.net/Archive/records/1997/1018/index.htm
GEOウェブサイトで公開している最近のエッセー
●アンコール遺跡は「発見」されたか?
http://www.fsinet.or.jp/~geo/essay/contents/2000/1123.htm

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updated:2001.10.22