ジオ・グローバル    
 HOME
メルマガ/vol.23
2002.08.31
Contents

(1) 「ナスダック・ジャパンの撤退の背景に見えるもの(1)−情報流通と証券市場−」
荒木 裕一(アリックス・プロジェクト・マネジメント 代表取締役)

みなさん、こんにちは。

この週末は、米国では月曜日がLabor Dayの祝日のため連休になっています。連休があけると、夏期休暇気分にも別れを告げ、再びみな日常の活動に戻ります。今年は、9月11日の同時多発テロの1周年が直後に控えているため、各地で記念行事が予定されているとともに新たなテロへの警戒感も高まってきました。

さて、本号の内容のご紹介。先日正式に発表されたナスダック・ジャパンの日本撤退を受けて、企業のIPO(新規株式公開)プロジェクトプロデューサーの荒木裕一さんが論考を寄せてくださいました。2回にわたる連載です。

日本における証券市場の成り立ちに始まり、歴史的な変遷の過程にも触れらた幅広い観点からのエッセー。次号の第2回では、いよいよ本題のナスダックの変容や撤退にいたる背景にも切り込みます。

小田康之(oda@geo-g.com

──────────────────────────────────────
★「ナスダック・ジャパンの撤退の背景に見えるもの(1)−情報流通と証券市場−」
荒木 裕一(アリックス・プロジェクト・マネジメント 代表取締役)
──────────────────────────────────────

 最近Nasdaq_Japanの日本撤退に関してテレビ新聞のニュースなどでも報道され、8月19日にはナスダック・ストック・マーケットの国際部門のナスダック・インターナショナルの会長兼最高経営責任者のジョン・ヒリー氏による撤退に関する正式発表が行われましたが、私にとって新興市場は身近な話でもあり、少しばかりコメントします。

▼日本における有価証券市場

 日本における有価証券市場は、長い間証券取引法上、取引所市場そのものをさし、東証を中心にしたヒエラルキー構造を骨格とし、売買高においても東証を中心としたマーケット構造を形成していました。例えば、店頭登録有価証券市場は新興企業向けの有価証券市場として1983年から公募増資も認められた市場ですが、証券取引法上、認知されず、有価証券市場の体系の中で長い間鬼子的な”補完市場”という立場にありました。

 1983年以前は公募増資も認められない市場、公正妥当な価格形成の場とは認めがたく、不特定かつ多数の投資家から資金を市場価格で調達する場、すなわち資本市場とは認められない市場として取り扱われ、売買数も低い状況にありました。

 証券取引法以外の分野でも、例えば株式分割等の際に1株未満の端数株式が発生することがありますが、端数株式は株式としての権利関係がなく、市場での売買が不可能であり、また配当金を受け取る対象ともなりません。このため端数株式の発生時点で、発行会社が端数株式をまとめて1売買単位以上の株式として市場で売却し、その売却金額を、端数株式の所有者となる人に分配するというような制度的処理が行われますが、この分割不能株の処理に関して、現在では商法220条「1株未満の端数処理」第2項で

 会社は前項の競売に代え市場価格ある株式はその価格を以てこれ
 を売却し又は買受け市場価格なき株式は裁判所の許可を得て競売
 以外の方法に依り之を売却することを得

 と規定され、店頭登録株式も市場での売却とその売却により、これら分割不能株式等所有者への金銭の分配が認められております。

 しかし、つい最近までは上記にあるように店頭登録株式に関しては、市場として認められないということから、裁判所において非訟事件手続法に基づく申請を行い、売却に関してもその市場価額ではなく未上場株式一般の計算法に基づき売却価額を算定し、その価額で第三者に売却するなどして株主に金銭の分配を行う必要があるなど、とても通常一般の認知されたマーケットに属する銘柄などとはとても思われないような扱いをうけていました。

 今でも、店頭登録株式、新興市場株式を売買するに当たっては、特別な口座開設約諾書にサインすることが義務ずけられる場合が多く、まるでテレビのParetial_Guidanceの番組や映画の”18歳未満入場お断り”映画のようにちょっと危ない領域に属するモノという風に今でも取扱われています。

 昨年、店頭市場を運営するJasdaqの母体である証券業協会が店頭株式を「店頭登録」ではなく「店頭上場」との呼称変更を発表していますが、証券業協会側からの一方的な呼称変更とはいえ、約30年ほどの社会的認知を経た上での呼称変更であり、また単なる売買報告システムではなく正当な資本市場としての実態を表明したものでもあります。

▼店頭と上場ってどう違うのか

 証券取引に関する様々な行為を定義し、規制する「証券法」、「証券取引法」は、民法上の契約行為以上の取引に関する”媒介”とか”取次”といった一般の取引全体についての法律的定義を行うという側面をもつ一方で有価証券取引を仲介する取引所等の市場開設者や取次、媒介する証券会社等について様々な規定をしています。

 取引を巡る文化的背景を考えると、漁で得た海産物を”浜”で取り引きすることから”浜値”なる価格表示が発生したように、結構土着的なものです。取引は常に取引相手を求め、安全で確実な取引を行うためにある地域で乗じ取引を行うもの達が集住し、その取引効率を高めます。

 有価証券を巡る取引は日本では江戸時代の米相場から発生し、米問屋が並ぶ日本橋河岸付の兜町を中心地ですし、大阪でもやはり江戸時代に米問屋が立ち並んだ堂島の川向こう北浜を中心地としています。

 イギリスのロンバート街やシティあるいはアメリカのウォール街も交易物の取引を中心として生まれたのだと思いますシンガポールでの不正な先物取引で潰れ、現在ではオランダ系の会社となっているた古いマーチャントバンクであるベアリングブラザースの不正取引をあつかったニックリースンのの自伝を読むと、ベアリングブラザースが元々日本の商社なように交易を事業とする会社から段々金融の会社となっていく様子がうかがえます。

 店頭売買は英語で”Over_the_Counter”取引を訳したモノです。売買の様子を思い描いてみてください。テーブルを間に挟み売りたい人と買いたい人、一方は通常は業者です。売りたい人はある価格を下限にある量の取引を提示し、買う人はある価格を上限に”買い”を提示します。両者が納した時に、株式等のある銘柄について、その価格である量の取引が成立します。

 業者は自分の取引の安全性を確保するために、すなわち資金量を確保するために、Over_the_Counterの取引だけではなく銘柄によっては業者間売買を行う市場、自分が会員となっているより大きなテーブルすなわち取引所でその保有する株式等を売買し、資金を確保します。

 よく為替が動いたときなどテレビのニュースで短期資金専門の仲介業者の取引状況が放送されますが、取引所の発生はあのような大きなテーブルでの売買をその原始形態、祖型と考えるとわかりやすいかも知れません。

 顧客との売買を行うテーブルと業者間売買を行うテーブルは近いほどよく、効率的でミスが少なく短期での価格変動にも対応ができます。そのためにそれら有価証券業者は各々が近いところに店を構え、集住しはじめることんあります。ウォール街、兜町はそうやって大きな業者間売買のテーブルである取引所の近くに成立した街です。

 取引所は大きな業者間売買を提供する場所ではありますが、原初的にそこで主に取り扱われる株式は、その街近辺の主要な銘柄であり、ある一定規模の売買量が確保され、長く売買される会社を上場銘柄として取り扱う傾向が強い性向があり、それが上場会社というブランドを創ることになります。

 取引所のおかれたそれぞれの地域で主要な会社の株式が主要売買銘柄となります。デンバー取引所の鉱山会社株式とかがそのようなものの代表かも知れません。

 一方、物理的に取引所という箱をもたず価格報告方式として成長してきたのが店頭登録という方式です。業者間売買という側面にポイントにおいたものではなく、どの業者のところに行けばどのような銘柄が売買できるかという情報を中心とした売買報告システムです。

 こちらのシステムでは売買報告システムという性格から売買量というより網羅性・新奇性に重点がおかれることになるといってもいいでしょう。

 これが電子的につながり価格・売買量のマッチングシステムとなり、有価証券と資金の決済システムと接続され、連動されるようになると取引所売買システムとの違いが限りなく薄まってきます。そうやって一つの大きな売買システムとして成長したのがNasdaqです。

▼通信と有価証券市場との関係

 距離を電子的に近づけることにとより、リアルタイムでの情報流通により短期の価格変動にもたえられるようになると、街からの集住から開放されます。昔から、有価証券マーケットと通信は親縁的で、電話が普及する以前にも兜町の街の角毎に丁稚さんがたって符号化された身体文字を使い情報伝達を行っていたとされています。街の集住はそのようにして可能であり、「場の雰囲気、場のうわさ」の価値がガセネタを含めて、その参加意識をあおるという意味で重要な意味をもちました。

 鬼平犯科帳の池波正太郎が兜町にいた、若い時代はそのような雰囲気の時代だったのだろうと思います。

 最近まで行われていた取引所の立会場売買で売買卓と証券会社のブースを身体文字を使い連絡していたのはその名残でもあります。見方を変えれば、昔から近距離”光通信”が行われていたということにもなります。

 資本主義の恐慌にも通信は大きく関与し、1920年代の「暗黒の木曜日」においても価格情報を流すティッカーシステムが故障したことにより、売買情報が流れず人々が疑心暗偽に陥ったのが重要な原因の一つとされており、1980年代後半のブラックマンデ−についても取引所の売買システムのシステムダウンに端を発するという見解もあります。

 取引所は情報が換金化されるところでもあり、ナポレオン戦争の時に戦陣奥深く入りそこから伝書鳩を飛ばし、その情報により巨万の富を得たといわれているロスチャイルドの逸話もその通信手段の積極的活用とその当時すでに市場が確立していた事を伺わせます。

 映画「メリーポピンズ」の中でシティのセントポール教会を背景に鳩にえさをやる場面もそう考えると、通信の媒体であった鳩のうち通信媒体でなくなったものがセントポール寺院近辺で羽を休めているという構図で考えてみると、その媒体がもたらした経済的インパクトの大きさを、その場所共々暗示するという意味で興味深い構図とも考えられます。

 投資家側から有価証券売買と通信の関係を考えると、通信の発達により直接的な取引が実行可能となり、取引場所の自由度は確実に上がります。

 通信の発達により、SF作家のアーサー・C・クラークは以前から、彼の宇宙を暗示させる海の側のスリランカで文筆活動を続けその成果を衛星回線をつかって原稿をロンドンの出版元に送っていますが、一方投資家の中でもサウジアラビアのワリド王子が、その投資スタイルの象徴として時々みせる砂漠のテントの衛星を使ったディーリングシステムはその自由度の象徴的なたる実例でしょう。彼はシティーバンクが崩壊寸前だった1980年代にこれに投資し、その後同様に問題のある豪華ホテル・航空会社・テレビ局等に投資し、それを成功させ今では巨額の個人資金を運用する運用者となり、一方でマイケルジャクソンを個人的にプロモーションし、彼にビートルズの著作権を買い集めさせるなどの財産権としての著作権事業でも無視できない投資家となっています。

▼通信と有価証券市場の変容

 通信の発達により投資家間の直接的情報交換は売買形態も変化させ、ヨーロッパ市場では機関投資家の成長が著しく、機関投資家間の取引所を通さない売買が実体化しています。

 ヨーロッパでは名前は変わってしまいましたが、ユーロクリアやセデルという有価証券決済機関(日本でいう保管振替機構もこれをモデルにしたもの)が自然発生的に発達し、価格マッチングシステムがあればこれらの有価証券決済機関により、有価証券市場の場合と同じように決済が可能なインフラは別個に存在していました。

 特にゴーイングコンサーンである会社の所有権である株式とは異なり、年限、利率、発行量等で商品構成が異なり、したがって売買可能期間が数年と限定される傾向にある債券については、同じ会社が発行するモノであっても価格・価値が異なり、売買参加者が機関投資家に偏るという商品の特質に加え、上記の有価証券決済機関の存在もあり、取引所に上場されることが比較的少ない取引形態を取っています。

 地域的特性からかヨーロッパ地域ででは各有価証券市場の市場集中の原則に対するこだわりが薄く、機関投資家間の相対取引が本来多いため、ルクセンブルクのように取引所の位置づけが気配値の公表場所的な意味合いしかもたない場合もあります。

 機関投資家は通常、BloombergやReuter等の多くの共通な証券情報システムを保有しており、その中で機関投資家間のintranetともいうべき情報システムが自然に発生します。

 この中で発生した売買価格マッチングシステムが例えばReuterが開設するInstinet等のような、証券取引法上は私設取引システム(PTS)というカテゴリーに属する売買システムです。

 ヨーロッパの債券取引に端を発するこのシステムは取引時間が限定されておらず、時間外での取引所売買システムを補完する機能を持っているだけではなく、取引にかかる手数料が限りなく低いこともあって無視できない取引形態となっています。

▼1975年米国証券取引法によるナショナルマーケットシステムの発生

 その地域の公共財として自然発生的に発生した取引所ですが、オイルショック後に決定的にその方向が変わります。

 1970年代初頭イギリスではマーガレット・サッチャーが首相となり、所謂金融ビッグバンが実施されます。その中で伝統的なロンドンマーケットに関わる仕事が整理統合され、これ以降ロンドンの伝統的マーチャントバンクは、前述したベアリングのように不祥事によって消滅したものも含めて世界レベルで整理統合され現在単独で生き残るマーチャントバンクは皆無の状況になっています。

 アメリカでは1975年の証券法の改正により、手数料の自由化とともにNYSE(ニューヨーク証券取引所)等が地域経済を背景とした取引所ではなく、国家レベルの取引所”ナショナルマーケットシステム”として法的に認知され、取引所間の統廃合が実施されます。この時NYSEと同じくナショナルマーケットシステムとして認知されたのがNASD(アメリカ証券業協会)が開設する電子マーケットシステムであるNasdaqでした。

 ただ、当時はか弱い取引システムでしかなく、1980年代におけるMicrosoft等の上場の頃からハイテクに中心をおいた商品構成をとる市場として、広く認知されるようになりました。

 このような点から、1986年のMicrisoftの上場は証券史上画期的な事象でもあります。

 IBMPCが世の中にでたときにそのコアシステムであるディスクオペレーティングシステム(DOS)をMicrosoft(MS)が供給することになりましたが、IBMPCのコアシステムを供給する点からIBMからの買収は避けられない状況にありました。「どうせ買収されるならフェアバリュー」での買収を望むビルゲイツの発想から、買収価格決定のために選ばれた市場がNasdaqでした。しかしMS上場後もIBMからMSは買収されることなく、常に大きな市場売買高を誇るNasdaqの象徴的存在となりました。証券取引の歴史からすれば、NYSEの幹部が「上場促進戦略を間違えたと」いうほど大きな事件だと言えます。

 その後Nasdaqはハイテク銘柄が売買される現代アメリカの象徴としての存在になる一方で、特定銘柄の出来高依存度が大きなマーケットとなっています。

(次号につづく)

【筆者プロフィール】
荒木 裕一(アリックス・プロジェクト・マネジメント 代表取締役)1954年、長崎生まれ.1982年学習院大学文学部哲学科(アメリカ哲学)卒業、大和証券入社、1983年より同社引受部・公開引受部で主にIPO等株式引受業務、事業組織変更業務(狭義のM&A)に従事.1998年7月同社退社、現在主に、株式公開サポート、事業創業サポート、事業組織変更サポートを個人でやってます。参加した/するプロジェクトに関してはミッションとして必ず結果(トラックレコード)を出す事を信条としてます。暇を見つけては香港を拠点にアジア地域を歩き、会社、工場、市場を巡り、美味しいものを食べています。株式公開等会社とのディープな関係を結んできたキャリアから、仕事の対象としてきた会社群の産業史的位置付け、取引方法等の文化的癖を常に考えてます。

PreviousNext  
[Index]
[top page][about GEO Global][events][essay][records][mail magazine][links][archives]
updated:2002.08.31