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メルマガ/vol.24
2002.09.04 |
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Contents
(1)「ナスダック・ジャパンの撤退の背景に見えるもの(2)−新興株式市場をめぐる新しい環境−」 |
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みなさん、こんにちは。
前号につづき、企業のIPOプロジェクトプロデューサーである荒木裕一さんの論考をお届けします。後半の今回は、ナスダックの世界戦略から撤退までの動きとその背景を追うとともに、さらに大きなアジアの経済環境についても言及されます。 小田康之(oda@geo-g.com) |
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────────────────────────────────────── ★「ナスダック・ジャパンの撤退の背景に見えるもの(2) −新興株式市場をめぐる新しい環境−」 荒木 裕一(アリックス・プロジェクト・マネジメント 代表取締役) ────────────────────────────────────── ▼1998年金融システム改革法が成立した頃 日本では、1998年6月の金融システム改革法の成立により、上記有価証券市場は、証券取引所市場と店頭市場として法的位置づけの見直しが行われ、私設取引システム(PTS)や取引所間の合併の容認など市場規制に関わる証券取引法の大幅な改正が行われました。 この証券取引法の大幅改正の基本的考え方として証券取引所を独禁法の適用対象とし、このため従来証券取引所を独禁法適用対象外とする、公共財的な考え方に言及した設立基盤としての地域経済に関する条項がこの改正法により廃止されています。日本版ナショナルマーケットシステムが法的にも稼働を開始することとなりました。 上場申請するものからすれば、上場申請する会社はどこの市場にもアクセス可能、すなわち上場申請が可能となり、設立場所による市場の規制はありません。 以前の法律を受けた取引所の規則では、例えば九州に本店のある会社は、証券取引所市場では、日本最大の市場である東京市場に上場を考える場合、まず福岡市場に上場しなければ東京市場には出らず、それ以外での直接東京市場に上場するための選択肢は補完市場である店頭登録しかなく、著しく機会の公平性を欠く状況にありました。 一方で、この改革により、取引所等の市場開設者は二以上の有価証券市場を開設してはならない(旧証取法87条)という条項も削除され、市場開設者がどのような市場を創るかの自由度は高められることとなりました。 つまり、有価証券市場開設者は、並列的な存在としてより魅力的な商品開発すなわち市場創設が可能となり、また現代の投資家が求める銘柄開発が必要とされるようになったのです。
▼市場情報発信を事業の骨格とする市場創設事業 1998年当時、特にアメリカを中心として有価証券市場を巡る動きは活発で、NYSEやNadaqを含め、取引所が営利事業を営む懸念の一方で、取引所が生み出す市場価格に関する原知的所有権者・商品開発者として様々なIndex等の商品の開発や市場価格情報そのものの情報発信事業を積極的に行おうとする流れは必然的なモノとなっていました。 取引所を有価証券に関する価格発見機能・価格情報発信機能としてとらえなおした場合、その組織のありかたそのものが再考の対象となります。すなわち株式会社化の流れです。 地域経済を発生基盤とした独占禁止法適用対象外の存在であった有価証券売買市場を提供する公共財としての位置づけから見た場合、証券取引所は証券会社による会員組織とすることが適当であり、この場合、市場情報はまず第一に取引所会員各証券会社のものとなります。 一方そこから産み出される市場情報を商品として取り扱う場合、その価値は会員証券会社全体の資産であり、情報発信には会員証券会社全体の承認が必要となります。この点で取引所と会員証券会社は利益が相反する立場となります。 競争力維持のための取引時間の柔軟な改変に対しても、全会員の同意を前提とする組織構造は著しく柔軟性を欠くものでした。見方を変えれば、取引所は従来の取引慣行のみで運営される事業体であり、取引慣行を代えてはいけない存在だったともいえます。こういった点から、取引所の組織の改編・株式会社化は避けられない情勢となっていました。 株式会社として株主より授権された範囲内で経営陣は事業執行者として市場を活性化させ、現代にあった銘柄を商品開発し、そこから発生する市場情報を大きな事業資産として発信して事業を行い利益を上げることは株主利益とも一致し、会員組織における利益が相反するねじれ構造から脱却することが可能となります。
▼市場情報の抱え込み:Nasdaqの世界市場戦略 1998年金融システム改革法が日本で成立した頃、世界では有価証券市場が極めてホットな状態であり市場開設者の株式会社化の問題も含めて市場の抱え込みに関する意識が強くありました。その競争相手として強く意識されたのが各市場と同様に、私設市場システム(PTS)の存在でした。 前述したように当時より、InstinetやWaterhouse、Islandといった私設取引システムが注目を浴びるようになっていました。 私設取引システムは取引所のように立会時間(市場開設時間)が決まっておらず市場がお休みの夜間や祭日にも売買が可能であり、手数料率からも投資家に有利で、各市場開設者にとってもっとも警戒すべき不気味な相手と考えられていました。取引参加者は機関投資家を超え、通常の仲介業者である証券会社にまで普及しようとしていました。 1998年当時NASDのCEO件会長で、その後のナスダック・ストック・マーケットの代表者となるフランクザーブは上記の有価証券市場として収益機会を増やしたいという収益動機と私設取引システムからNasdaq銘柄を守りたいという守備的動機が強烈にありました。 Nasdaqという名前は一般的に普及していますが、その売買内容を見ると前述したように出来高上位銘柄に関する依存度が他のNYSE等の市場に比べて相対的に大きなマーケットで、最近のデータは見ていませんが、上位数十銘柄程度で80%程度の依存度があるマーケットでもあります。 Nasdaq側からみた場合、Nasdaq銘柄の出来高上位銘柄を24時間売買する市場を創設することにより、これらの重要銘柄を各私設取引システムから守り、かつ取引システムのバックアップ拠点も確保できるという二重の利点を考えて、アメリカと取引時間の上でも補完でき、かつGDPの高い地域として、日本とユーロ市場にそれぞれNasdaqの息のかかった市場を開設することは、市場開設者としてのカギと考えられ、積極的に実行すべき課題ともなっていました。 当時Nasdaqは日本株のNasdaq上場の積極的なプロモーションを行う一方、東証にもNasdaqとの提携を打診しています。
▼再び1998金融システム改革法制定動機と独禁法 日本では1998年の金融改革法により、改正された証券取引法により、1999年新たな市場創設が行われます。Nasdaq_JapanとMothersです。 日本において、新たなリスクマーケットとしての株式市場の創設を促したものは、アメリカが1980年代のSave&Loanの不良債権処理後、多くのベンチャービジネスの出現により新たな雇用が発生し、社会不安を解消させたこと、これら多くのベンチャービジネスがナショナルマーケットシステムとしてのNasdaqやNYSEへの株式上場により新たな経営リソースとしての資金を調達したこと、さらにNasdaqにおけるNetscape株式上場あたりから発生する新たなアメリカンドリームに対する憧憬と、stock_optionによるあらたな経営手法としての新たな人材導入方法の開拓等、株式市場と密接に結びついた非常に高回転で高効率のビジネスが可能であるという認識が深まったことによるものと考えられます。 銀行の膨大な不良債権処理に忙殺される日本の現状を効率よく大きく変える一つの有力な政治的・経済的解決策として考えられたもので、この新興市場の創設と同時に現在でも継続する一連の商法改正が行われ、ストックオプション制度も導入されました。 他方で、独禁法の適用領域の拡大と今後の新しいインフラ網整備に対する資金調達市場の必要性が同じく新市場創設を促す動機としてあります。 日本における戦後のインフラ網再整備にあたり、”ユニバーサルサービス”の充実をになうものとして、重要な役割を果たす事業体を独占禁止法適用除外領域におき、その事業体に対して、その独占事業を担保に債券の発行を行わせることで巨大な事業資金を確保させ、事業を運営させてきました。 第二次臨時行政調査会の答申以降、そのような巨大インフラ網整備に関するものも独占禁止法の適用対象となります。 今後発生する新たなインフラ網整備・運営を行う事業体が資金調達の場とするのは、国民金融資産を背景とした資産の証券化とリスクマーケットである株式市場でしかありません。少なくとも日本にとっての新しいリスクマーケットとしての株式市場はそのような役割を担うものでなければなりません。 ▼Nasdaq_Jを巡る同床異夢 前述したようにNasdaqは速やかな市場開設を考え、東証との提携も視野に入れていました。新証券取引法に基づいて創設されることとなったNasdaq_Jは、偉大なるプロモーターである孫さんとの提携により市場を開設することになりました。 当初、その市場開設にあたり、新たな証券業協会の開設を構想しますが、新たな証券業協会への参加によるコスト増を嫌う証券会社群の賛同を得られず、既存市場開設者との提携に至ります。 現在、大証との共同市場となっているNasdaq_Jは当初、アジア圏との交流を構想する九州エリアとの関係が密接で、福岡証券取引所との提携という意見が優越していたことがあります。日本IBMの佐伯さんがNasdaq_Jの社長となって以来それが急速に大証との提携に傾きます。 元々、Nasdaq_JもMothersの構想も、日本一国を対象としない、安定したリスクマーケットを目指していました。 アジア危機以前、当時の大蔵省などで、積極的に日本政府保証によるアジア各国債を発行させ、アジア圏内の経済的安定を図ろうとしたことがあります。当時の大蔵大臣である宮澤さんのもと榊原さん達が中心となった構想であるといわれていますが、当時の米国国務省サマーズ氏を中心とするアメリカ政府に潰されました。 日本の取引システムを使い、公募増資等での資金調達を可能とするこの新しいリスクキャピタルマーケットは、日本円を取引単位とし、したがって日本円の信用を背景とすることとなり、上記のそうした構想をリスクマーケットの分野で実現させるものともなるものです。 ただし、フランクザーブの構想はアメリカNasdaqの出来高上位銘柄の24時間マーケットの確保を優先しようとするものであり、ドル建てベースの発想がその根本にあります。Nasdaqそのものの構想と円建てをベースに東アジア圏共通リスクキャピタルを構想することとなるNasdaq_J等の東アジアローカルな構想は本来両立するものではなかったのかも知れません。 これら日本側の構想に関しては、その関与者が当時の日経新聞の経済教室などの論文から当時の雰囲気・開設意図がかいま見えます。
▼遅々として進まぬNadaq的Nasdaq_Jと最後の始まり Nasdaq_Jの市場創設以来問題となっていたのが、Nasdaqシステムの導入と手数料の問題です。 Nasdaq_J市場が開設されている大証は従来から大証独自のシステムが稼働しており、また、最近の市場低迷による取引量の減少と、Nasdaq_Jで当初見込まれた上場会社数にはるかに及ばないことから、新たなシステム投資は行い難い状況にあります。また売買を取り扱う証券会社にとっても手数料率の悪いNasdaqシステムの導入は歓迎しにくいものでもあります。 今年6月中旬頃のNasdaq_Jの状況は、Nasdaq_J関係者によるのコメントから、 (1)大証とNJの提携を解消するとの事実はない というようなことでしたが、 これが7月中旬頃には、 (1)大証とNJがよりをもどす可能性は低い となり、8月7日のNasdaq(US)の第2四半期Q2での開示情報に (1)ナスダックはナスダックジャパンに対する貸し付けを、貸倒れとする予定(つまり回収見込がないということ)推定金額は1,500万USDとも2,000万SDともいわれて、財務上貸倒処理され、 と、いわれるようになり、8月14日の”Nasdaq_J撤退か”報道から、8月19日の正式発表でロンドンに本拠を置くナスダック・ストック・マーケットの国際部門のナスダック・インターナショナルのジョン・ヒリー会長兼最高経営責任者が、都内のホテルで年内(10月)に日本市場からの撤退を決定. 理由について「日本経済や株式相場の低迷で上場企業数が計画を下回り、日本法人の収益が大幅に悪化したため」 この撤退により、株式の貸倒処理を含めて50億円程度を損失処理することに決定したようです。 推測でしかありませんが、前述した1998年当時アメリカナスダック・ストック・マーケットのフランクザーブの収益機会獲得の動機が昨年9.11以降の出来高減少の中で薄れ、またInstinet等の私設取引システムによるNasdaq銘柄取扱いが当初懸念されたほど大きいものではなかったのでしょう。 2000年半ばから始まるドットコム企業の崩落、CiscoやNortel等通信関係企業のADSL等を利用した新興通信キャリアに対する貸倒れの増加た設備廃棄による通信セクターの市場低迷による出来高減少の流れは昨年9.11以降決定的となりエンロン、ワールドコム以来の上場銘柄の財務情報に対する信用不安から来る市場売買高の減少と市場それにともなう収益性の悪化のみならず、24時間マーケット創設以前に取り組むべき重要な課題がNasdaqの足下に発生したということが、上記のわずか3ヶ月間でのNasdaq側の態度の変化に現れていると思います。 企業改革法等、エンロン以降の財務開示を保証するシステム的対応要求は企業側にもまた市場開設者側にも厳しく、NYSEではその上場基準に透明な財務情報を保証するコーポレートガバナンス構造を要求するという報道もでるにいたっています。 Nasdaq側に対しても様々な要請があるばかりでなく、株式会社化したナスダック・ストック・マーケットが株式会社化の当面の目標である自社の株式上場を目指す上で、あくまで日本側の問題とされた不採算部門の将来性から、当面収益の好転が望めず、これ以上の採算悪化を容認できなくなくなった結果ともいえます。 あるいは、投資に対する対応が不明確なままである現状を根本的にリセットする撤退という方法を選択したのだとも考えられます。 株式会社ナスダック・ストック・マーケットそのものの収益性の問題ということになれば、前述したように取引所外取引が常態化しているヨーロッパでの収益性はNasdaqのコアシステムが稼働しているといいながら、同システムを利用した良好な取引が行われるという保証はさらに少なく、国際部門であるナスダック・インターナショナルのジョン・ヒリー会長兼最高経営責任者のクビも危うくなる事態が想定されます。案外その個人的な状況からの実績づくりという極めて個人的な次元の話かも知れません。 野村総合研究所の大崎貞和・資本市場研究室長は「甘い見通しを持った米ナスダックが厳しい現実に直面しただけで、新興市場の失敗ではない」としていますが、私も彼と同様に、前述したような機能を担う新興株式マーケットは重要な存在であると考えています。 「人が残酷になるのは、倉の中が空っぽの時ではなく、倉がいっぱいの時である」とした箴言は有効なようです。 市場開設には、その市場を開設するための銘柄会社の財務情報への信頼性の確保、市場参加を促す適切な手数料率と柔軟な市場アクセス手段の提供(仲介事業者のアクセスの確保)、良好な市場コンテンツ開発としてのMSのような魅力的な銘柄開発と積極的な売買銘柄数の拡大そしてどんな時にも取引システムを維持できるコスト構造を常に低下させる経営努力と良好な経済基盤が必要です。 Nasdaq_Jについては市場開設者が大証とNasdaq_Jその提携先のNasdaqという3人がおり、本来から高コスト構造を余儀なくされ、より高い流動性を保証する市場政策策定と実行が求められます。 しかしながら、Nasdaq_Jの市場開設がその提携先開拓からMothersに比べても半年遅れたことと、その遅れからリスクマーケットブームに乗り遅れ、その後の世界的な株安もあり、上場銘柄数の拡大が進まなかったこと、株安による売買金額の減少によってNasdaq_Jのもつ高コスト構造そのものが存立基盤を危うくするに至ったと考えられます。 ましてや、事業計画が2002年までに1,000社を想定したものであり、それにそったコスト構造を前提していたとすれば、日本における株式公開会社数が多いときで400社にも満たない状況からみて、過大な計画をベースにしたものとも考えられます。 突き詰めて考えれば、実はNasdaq側そのもの(Nasdaq_Jではなく)に日本における市場開設動機が自己の出来高上位銘柄の抱え込み以外になかったのではないかという疑念があり、市場開設意欲は極めて薄いものだったといえるかも知れません。 市場開設に関しては、その情報発信ビジネスとしての側面が注目されていますが、それ以前に社会の公共財としての有価証券売買システムの提供という側面が必要存立条件としてあり、その売買システムは多くの場合ローカルな日常の売買により育まれて存在するに至った存在でもあり、その存在を規定するのは売買参加者を含めた自己のシステムと導入される外部システムのコスト抵抗力が優先され
▼新興株式市場に関する新しい環境 「選別と集中」というテーマは昨年の中間決算以来ソフトバンクの孫さんを中心によく口にされるテーマとなりました。今回のNasdaq_Jの処理についても、その施策実行の一環なのかもしれません。 この程度の話を一般論として考えるのは早計かも知れませんが、ヨーロッパがユーロとしてまとまるなか、アメリカは収益力の低下とともに9.11以降の世界の中で、世界の管理者として仲介的位置づけを残しながら、経済的にはモンロー主義的なブロック経済化を再び目指しはじめたのかも知れません。 中央アジアの天然ガス開発とその輸送ルート開発競争はあるものの、アラスカ石油の再開発等で、実体的に中東石油に関するアメリカの依存度がが急激に下がり、相対的に経済成長著しい中国を抱えた東アジアの中東石油依存度は上昇します。エネルギー需給構造の変化から。新たな経済ブロックの組成、経済領域の再編が始まっているのかも知れません。 中東情勢が不安を呼ぶ中で、今年の9.11直後の9月19日には、OPEC総会が本部のあるウィーン以外で初めて大阪で行われます。 アジアのブロックでは資本市場は十分に整備された状態にはなく、大陸中国を中心に、急速な成長にともなう資本の過小状況は日々拡大します。大陸中国はを10億人を超える潜在需要をその市場イメージの柱として、欧米の巨大でダイナミックに動く資金の出し手を個々に引き込んでいくのでしょう。WTO加盟後の大陸中国では、人民元と他通貨の互換性の確保を要請され、資本移動の流動性は高まります。 高度成長に伴うGDPの拡大は富として蓄積されて初めて安定した経済単位となるのは個別企業のバランスシートと同じです。有利子負債に比べて過小な累積利益はその企業を極めて不安定にするように、先のアジア危機における場合と同じように急速な経済成長は常に経済恐慌の危うさを伴い、経済運営の失敗はすぐに経済恐慌に至る可能性を秘めています。 大陸中国の経済成長はパックスアメリカーナ時代の経済成長とは異なり、自国に大きな富を有しない地域での成長であり、バランスシート上極めて不安定で、経済の安定を確保する安全弁が極めて脆弱です。 周辺にある日本は公共セクターを除き、特に民間セクターでは資金の調達状況ではバランスし、不況から資金余剰が発生しており、この状況今後10年間同様であることが予想されてます。しかしい非効率で高コストとなった組織構造や不良債権の処理の遅れから公共セクターは資金過小の状況が続くことが予想されています。資産を不良債権となった土地等、それそのもので資金を産み出さない資産に多くを投資して、バランスのとれない状況に陥った日本は一方で経済的にも深くこれらの地域に関わり、今後多くの影響を受ける可能性は高いことが予想されます。日本は財務上のバランスを取り戻し、地域内の経済的ショックアブソーバーとしての資本市場の充実を違った形で早急に求められているように思えます。 20世紀における経済恐慌ととそれに続くブロック経済化の流れは大きな戦争を産み出すだけでしたが、21世紀は一体何を産み出すのでしょうか。たかだかローカルな新興株式市場の消滅について針小棒大な考え方かも知れませんが、そのような印象を持ちました。 Nasdaq_Jの撤退により一つの日本におけるリスクキャピタルマーケットとしての新興資本市場は淘汰されましたが、あらたな形を変えた資本市場の整備に対する要請は、常に発生します。少なくとも様々な経済事象を超えて活性化した東京市場を創ってきた我々にはその責務があると思っています。 【筆者プロフィール】 |
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updated:2002.09.04
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