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スペイン・サンチアゴ巡礼の道
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IV. サンチアゴの道についての各種トピック

2.服装と装備

 この旅の準備をしているとき一番気になったのが服装、装備のことだった。「冬のカスティーリャに吹く風は凍りつくように冷たい」「ガリシアは雨が多く、霧も立ちこめる」「携帯用コンロも要るんじゃないか」といった話を聞くにつけ「どんな服装が歩く旅には適しているのか、雨具は、バックは。」と思い悩み、山道具の店を見て回る時間はやたらと長かったが、結局登山用バック、靴、寝袋などを買い足した他は今までの旅のスタイルでいくことに決めた。あとは現地調達だ、ということにして。
 しかしこの決定はなかなか正解であった。旅を終えてみれば、道中服など数点を買い足して本など要らないもの2,5kgを送り返しただけであとは全て日本で用意したもので不自由はしなかった。

i) 私の服装と装備一覧

 今回の旅の装備は次の通りである。

 トレッキングシューズ一足、登山用リュック (40-60リットル)、 コート、マフラー、帽子、ズボン 2本、トレパン、トレーナー、スウェット、シャツ、セーター、下着、靴下 各3組、厚手靴下2足、雨具上下 (上はポンチョ)、 杖、ほたて貝、寝袋、ガイドブック、ノート、筆記用具、常備薬、裁縫用具、懐中電灯、目覚まし時計、スリッパ、つめきり、洗面用具、洗濯用洗剤、ロープ、カメラ、フィルム、テープレコーダー、貴重品等
*背負うリュックの総重量は約12kgであった。

ii) 巡礼の服装、今昔

 日本では巡礼といえば白装束が有名であるが、勿論それを着なければ巡礼に出てはいけないという訳ではない。同じようにサンチアゴの道にも決まった巡礼のユニフォームというべきものはない。
 ジョルディはトレシャツにジーパンでほとんど着替えなかった。マノーロは愛用の登山着が主。アレックスは勤め先であるブラジル石油の派手なオレンジ色のつなぎを着て歩いていたので遠目からでもよく目立つ。皆それぞれ歩きやすい格好で歩いていたのだがハタから見れば一目で巡礼者と分かってしまう。小汚い見なりをして背中には大きなバッグ、杖をつきつつうつ向き加減でひたすら歩いている人がいたらそれが巡礼者である。
 現代ではこのように各自が歩きやすいような格好をして歩いているのだが、昔はその時代ごとに巡礼着にも流行があった。14世紀には上着と外衣、そして頭巾をまといその上から縁の垂れた帽子をかぶっていたようである。それが15世紀にはいると少し変わる。外衣にかわってペルリーヌと呼ばれるゆったりとしたケープをまとい、帽子はといえば額の上でつばを折り返していたということだ。


<巡礼者・今昔>

iii) 靴

 先ほど巡礼着に義務はない、という主旨のことを書いたが中世には例外があった。悔俊や刑罰による巡礼者は首や腕に鉄の輪を架されたり、裸足で歩くことを罰として科されたりした。
「裸足」という言葉がでてきたからには靴のことについて触れよう。巡礼とはひたすら歩くことであるから何はなくとも足にあった靴が必要である。幸い私の選んだ靴は足になじみ、前半にはマメに苦しんだりもしたが、それ一足で歩き通すことができた。マノーロは靴の革が硬くサイズも合わず最後まで苦しんでいた。靴の大切さは歌にも歌われている。

 「巡礼でありたい者 サンチアゴ巡礼は 丈夫な靴を持たねばならぬ 聖ヤコブ様がガリシアへ行ったとき履いていたようなやつを」
 
iv) 杖

 27日間で使った杖は3本。どれも道端で拾ったものである。とりわけ2本目は目的地まであとわずかというところで折れてしまうまで連れ添ったポプラの木だ。拾った時には二股に分れていたのでマメが痛くてつらかったときには松葉杖がわりにしたり、寝る前に照明のスイッチを消したりと何かと役に立ったその杖も日に日に先端がすり減っていき、しまいには石にぶつけたショックで折れてしまった。
 「杖は狼や犬から見を守るため」と書いてある本もある。確かに道中犬には手を焼いた。が、どうだろう、こちらに向かって吠ている犬に対して杖を使って追い払うようなことをしたらかえって火に油を注ぐようなものである。実際そうして幼い時分に犬に噛まれた私は決してそのようなことはしなかった。しつこい犬は刺激せぬようひたすら無視するに限る。
 狼に関してだが、嘘か誠か「山のなかで野生の狼の死骸を見かけた」と人から聞いたとティナが話していた。
 杖について歌っている歌もある。

 「希望の杖 愛徳の金具付きの変わらぬ心、愛と貞潔で覆われて」

 マノーロの杖の先端には鉄の尖端がついていたが、10日もしないうちにとれてしまって、サンチアゴ・デ・コンポステーラに着いたときには鉄の部分もかなり擦り減っていた。ジョルディはバルセロナからついにフィニステル Finisterre まで実に1300キロ以上歩いたのだが、やはり一本の太めの杖を携えていた。あとからマノーロに聞いたところによれば、フィニステルの岬の岩場に辿り着いたとき彼はその杖を海に向かって投げた。が、杖は岩にあたって鈍い音をたてた。ジョルディにはそれが杖の叫び声に聞こえ、一瞬ドキッとしたそうである。私の杖はといえば愛用の杖が折れてしまったせいで最後の数日間は他の少し大きめの杖を使っていた。そしてサンチアゴ・デ・コンポステーラの巡礼者を迎える事務所の入り口に巡礼者が置いていった杖が重ねられていたのでそこに収めてきた。


v) 証明書(巡礼者手帳)

 中世、巡礼者は食糧や貴重品などを布製の革袋にいれて肩から下げていたらしい。そうやって肌身離さず持っていたもののひとつが巡礼の証明書である。
 中世以降、巡礼が盛んになるにつれて本来の巡礼とは目的を異にする偽巡礼者が増えてくるようになった。巡礼者を装って商売をしようとした商人、同じく巡礼者を装って巡礼者から盗みを働こうとした強盗。また巡礼を口実に異国でアヴァンチュールを楽しもうという女性などがそうである (ちなみに強盗は本当にいたらしく救護所には手配書が貼ってあり、あとで知り合ったブラジル人は何も盗まれなかったがしばらく一緒に歩いたと言っていた)。
 このため17世紀には巡礼にでるには真の巡礼者であることを証明する証明書が必要になった。フランスではルイ14世の名で勅令が出されている。18世紀になってもこうした偽巡礼者を取り締まる措置はとられ続けた。
 そして現在でも持たなければ罰せられるという種類のものではないが(スタンプ帳がわりの)巡礼者手帳がある。


<手にしているのが巡礼者手帳・スタンプ帳のようなもの>

vi) ホタテ貝

 サンチアゴ巡礼をサンチアゴ巡礼たらしめるシンボル、それがホタテ貝である。
私自身出発地であるロンセスバージェスでサンチアゴの十字架のついたホタテ貝を買い常に首から下げていた。ジョルディもマノーロも身に付けていた。巡礼者が持っているだけではない。道の標識は皆、貝がモチーフであるし、家の紋章にも用いられている。町のあちこちには貝をあしらったデザインが見られた。
 ホタテ貝はガリシア海岸地方の特産物であり、実際に食べたがなかなか美味だった。これを持ち帰ることがすなわちサンチアゴ巡礼を行った証明にもなり普及していったのだろうが、それ以前4世紀にはすでにホタテ貝は巡礼一般を象徴するシンボルだったのだという。

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updated:2001.7.31