4.教会
独裁者フランコの死後、1978年に制定された憲法により国教でなくなったとはいえ、スペイン人の大半はカトリック教徒である。そしてどんな小さい村にも教会が必ずある。逆に言えば教会があって初めて一つの共同体と成りうる。大抵、教会は村の中心部にあり、その周囲には広場や市役所、バルなど人々の集う場がある。いろんな意味で教会はスペイン人の拠り所である。
言うまでもないことだがサンチアゴの道はカトリックの巡礼の道であるから、巡礼者はその道沿いの村や街の教会を訪れ、そこで祈りを捧げ、スタンプがあれば証明書に押してもらう。マノーロは、「普段は教会には行かないし、熱心な信者でもない。」と自ら言っていたが、この旅ではどんな小さい教会でも訪ねて、閉まっていればわざわざ鍵を借りに行くという熱心ぶりだった。私はカトリックではないが自分のやり方で毎回膝まづいて祈った。
サンチアゴの道におけて教会の果たす役割は重要で、且つ多岐に渡る。巡礼者の宿泊施設としても使われたし(今もそうだが)、その建設に際しては様々な物資が動き、周辺経済を活生化させた。
ここではその建築美術とその歴史に着目したいと思う。
中世以降、サンチアゴ巡礼が増えるにつれて教会の建設も盛んになった。そしてその建築を通じてピレネー山脈の向こう、フランスをはじめとするヨーロッパの美術様式がスペインに伝えられるようになった。だがその伝播はヨーロッパからスペインへの一方通行的なものではなく、スペインの持つイスラム的要素もサンチアゴの道を介して他のヨーロッパ諸国に紹介された。サンチアゴの道はこうした美術様式、芸術の交流の場であったとも言える。以下、時代をおってその変遷を見ていきたいと思う。
(i) ロマネスク様式
まず最初に伝わったのがロマネスク様式である。11世紀から12世紀かけておこったロマネスク様式の教会建築における特徴は石造天井と半円筒アーチであり、重厚・荘重な印象を与える。このロマネスク様式の代表的なものはハカ、フロミスタの教会建築とレオンの壁画である。
ハカのカテドラルの建築は11世紀後半に始まるものである。フロミスタのサン・マルティン教会はスペイン・ロマネスクの傑作として名高い。その教会を飾る幾百の彫刻には思わずためいきがでた。レオンのサン・イシドロのバシリカ(教会堂)には天井一面描かれたフレスコ画がある。聖書と狩りを題材にしているという。
(ii) ゴシック様式
13世紀にはいるとフランスからゴシック様式が伝わる。尖頭アーチと穹窿天井、広い窓などがその特徴であり、教会の大規模化も可能にした。その代表がブルゴスとレオンのカテドラルである。
まずブルゴスのカテドラルは1221年に礎石が据えられて以来、完成までに約300年もの歳月が費やされている。市内の細い路地を抜け、小さな坂道を登っていくと巨大なカテドラルの後部の眺めが目に入る。正面に回り、写真に撮ろうとしてもその大きさになかなか一枚には収まってくれない。夜、ライトアップされたその雄姿には思わずうなってしまう。
レオンのカテドラルは別名サンタ.マリア・デ・レグラとも呼ばれている。13世紀後半に建てられたこのカテドラルはゴシック建築の理想像ともいうべき優雅な構成で知られている。そしてその130ケ所、あわせて1700平方メートルに及ぶステンドグラスは華麗としかいいようがなく、特に夕陽赤く染まったときには畏敬の念すら感じる。
(iii) ムデハル様式
サンチアゴの道沿いの教会建築はヨーロッパ指向一辺倒ではない。8世紀に渡るイスラム統治の影響はムデハル様式という形態を生みだした。これはレコンキスタによりカトリックの支配下となった土地に住んだイスラム教徒たちの伝統がロマネスクやゴシックに融合して生まれたものである。レンガ積みによる建築が特徴であり、その代表的なものがサアグンのサン・ロレンソ教会である。
(iv) サンチアゴ・デ・コンポステーラの大カテドラル、そしてモデルニスモ
ロマネスク様式の項では触れなかったが、サンチアゴ・デ・コンポステーラのカテドラルは11世紀後半から12世紀にかけて建てられたロマネスク様式の教会である。後年、増築、改築の際にゴシック、ルネッサンス、そしてバロックとそれぞれの様式が加わり、サンチアゴの道の建築史を体現している。
「オブライトの門」は左右に高さ70mの塔をもつカテドラルの正面玄関で、スペイン・バロックの代表的作品でもある。この中にあるのがロマネスクの華と呼ばれ、当時の正面玄関だった「栄光の門」である。内部の回廊は16世紀につくられたゴシックとルネッサンスの混合、カテドラルに隣接する73mの時計塔は17世紀のバロック様式といった具合である。
また今は巡礼道博物館となっているアストルガの司教館は天才ガウディの設計によるモデルニズム様式の建物である。