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IV. サンチアゴの道についての各種トピック 5.道沿いの街や村 有名な教会があるばかりが面白い街や村の条件ではない。ここではサンチアゴの道沿いの特色のある街や村をいくつか紹介しよう。 (i) ロンセスバージェス Roncesvalles ロンセスバージェス(フランス名 ローンズヴォー)はフランス国境から8km程のところにあり多くの巡礼者がその出発地とするところである。ピレネーのふもと、標高約900mのこの小さな村はかつてカール大帝がサラゴサ遠征の帰路にここを通ったとき待ち伏せていたナバーラ人に急を襲われ、愛する甥ローランを失った悲劇の古戦場である。そしてこのことを歌ったのがフランスの武勲詩「ローランの歌」である (武勲詩ではアラブ人に襲われたとある)。 (ii) パンプローナ Pamplona 紀元前75年にローマ人によってつくられ905年にナバーラ王国の首都となり発展していった。街の中心部を少し離れると広い公園や大学もあり、全体として落ち着いたしっとりとした印象をうける。石畳の細い小道の入り組んだ旧市街は趣があり、ただ歩いているだけでも飽きない。 (iii) プエンテ・ラ・レイナ Puente la Reina ピレネー山脈を越えてきた2本の道はこの地で一つに合流しサンチアゴ・デ・コンポステーラへと向かう。町の入り口には巡礼者の像があり、その足元にはこう彫られている。「そしてここからはサンチアゴへ向かう全ての道は一つとなる。」 この町は宿場町でもあり、別々の道からやってきた巡礼者たちがここで顔をあわせる。私自身、旅の友となるマノーロとジョルディとはここで知り合った。 (iv) サントドミンゴ・デラ・カルサーダ Santo Domingo de la Calzada 11世紀、ドミンゴという男はその生涯を巡礼者のための道路の建設に捧げ、没後、聖人位が授けらた。そしてその遺体を収用するために教会が建てられこの町が生まれることとなった。地下にその聖ドミンゴが眠る教会には、珍しく鳥小屋があり雄雌一対の白いニワトリが飼われている。これには次に紹介する逸話がある。 ある時、この町を訪れた若い巡礼者が、泊まった宿で泥棒の汚名をきせられ処刑されてしまった。その両親が死体を引き取りに処刑場にかけつけてみると、驚いたことに息子はまだ息がありこう言った。「聖ドミンゴ様が足元から支えてくださったおかげで私はまだ生きています。大丈夫です。」両親はさっそく裁判官に息子を首吊り台から降ろしてくれるよう頼んだが、まるで相手にされない。裁判官は食事の準備中でちょうど串焼きのおんどりとめんどりが火にかかっていた。そこで「あの丸焼きになった鶏が鳴き出したりでもしたら、息子さんは生きていると信じましょう。」と言った。すると丸焼きになっていたはずの鶏が生き返って飛び立った...。 この逸話の出所は12世紀の「カリストゥス本」であり、事件は1090年におこる。その時点ではニワトリの話はなくもっとシンプルなものであったらしい。伝説とは時と共に人の手が加わり豊かになっていくものらしい。 (v) オセブレイロ O Cebreiro オセブレイロはガリシア地方の入り口にあたり、1000m級の峠にある小さな村である。ここを越えると人も言葉も景色も変わり、旅もいよいよ大詰めにきたことを知る。またこの一帯にはケルト起源とされる独特の超原始的な民家、パジャーソスが今も残っている。このうちの一軒が民族博物館となって公開されている。 (vi) フィニステル Finisterre (ガリシア語では Fisterra) サンチアゴ・デ・コンポステーラより西に、もう2ケ所聖地がある。ひとつは聖ヤコブの遺骸を乗せた船が漂着したとされるパドゥロン。そしてもうひとつがこのフィニステルだ。フィニステルとは「地の果て」を意味する岬で、眺めのいい漁港がある。サンチアゴからバスで2時間ほどのところにある。 |
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updated:2001.7.31
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