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スペイン・サンチアゴ巡礼の道
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V. 巡礼一般についての私見

ここでは、道すがら私が考えた巡礼のことについて思うままに述べてみたい。

1. 巡礼へと駆り立てるもの

 巡礼の地とはそのほとんどが宗教上の聖地である。だが全ての巡礼者がその宗教の信者ではない。今回サンチアゴの道で会った巡礼者のなかにもカトリックでない人が何人かいた。ジョルディは無神論者だったし、ミゲルとティナも信者ではないといっていた。そしてたとえカトリックであっても宗教的な贖罪を求めて、というよりも自分の内面と向き合いたいと考える人も多いようである。
 何が人を巡礼へと駆り立てるのだろうか。
大学の図書館で見たスペインのニュースのサンチアゴの道特集では何人かの巡礼者がインタビューのなかで次のように話していた。

 『サンチアゴの道を歩くことは、生きること、自分の内面を省みること、そして自分自身について考えることである。自分自身と向き合うための静かな時である。仕事をしていてこうした機会をもてるかどうかどうか、私にはわからない。』(中年の男性)
 『僕自身はカトリックの信者じゃないし、信じている宗教もないよ。でも精神的には、僕の考えでは、サンチアゴの道は自分自身と出会うための私的な探求だと思うんだ。』(20代男性)

 15日間を一緒に歩いたマノーロの場合は次のような理由で巡礼に出た。大学を卒業するために彼は法学の難しい試験に合格する必要があった。そのための勉強を続けていたある夜、彼は就寝前に自分自身と神に「この試験に無事受かったらサンチアゴの道を歩く」と誓った。そして無事試験をクリアし、兵役につくまで十分な時間をもった彼はその誓いを果たすためアラゴン地方のハカから歩き始めた。
 陽気なブラジル人アレックスは会社の休暇を利用してやってきた。あるジャーナリストが書いてベストセラーになったというサンチアゴの道の体験をまとめた本をよんで興味をもったのだという。だがスペインの寒さに耐えうる十分な装備をもっていないし、ブラジルにいる一度離婚した女性ともう一度やり直したくなったというので10日程でブラジルへと帰っていった。
 私の場合はひとつひとつ自分で判断を下していったら、不思議なことといおうか当然の帰結といおうか、いつの間にかサンチアゴの道を歩くことを心に決めていた。あることを決意すると私はどうしても人に喋りたくなってしまう。小心者であるから一旦公言してしまうともう後には引けなくなる。有言実行といえば聞こえがよいが、裏を返せばこういう事情もあっのだが、第一歩を踏み出してみると、それが自然なことのように歩き始めたことが意外だった。

 宗教的な贖罪のため、自分自身を見つめ直したいといった精神的なもの、スペインの道を歩いてみたいという文化的、観光目的...いろんな理由を自分なりに考えてみたのだが、一人一人にそれぞれのいきさつがあり、それぞれの思いを抱いて巡礼にでてくるので決して一概にはいえない。だが確かなことはどの人にとってもそれは自然なことだったようだ。朝起きて歯を磨き、朝食をとるように巡礼にでる。そして歩きながらはたと思いついたように自問する。「自分はどうして歩いているんだろう」と。答えはでない。実際、私は人から巡礼にでた理由を尋ねられたとき、自分なりに経緯や理由を説明しながらなにか言い尽せない、うまく説明できていないことを常にもどかしく思っていた。これは他の人も同じだったようである。他の人から見れば不思議なことなのかもしれないが巡礼にでることはその人にとって必要なことだった、必然だったとしかいいようがない。
 なぜ巡礼にでるのか、何が巡礼へと駆り立てるのか...このテーマについて私が今のところ述べられるのはこのくらいである。最後にこの問に対する答えとしてよくいわれる言葉を挙げておこう。

「El camino te engancha.(道が君を魅きつける)」


<歓びの丘・サンチアゴ・デ・コンポステーラのカテドラルが最初に見えるところ>

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updated:2001.7.31