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V. 巡礼一般についての私見
ここでは、道すがら私が考えた巡礼のことについて思うままに述べてみたい。 1. 巡礼へと駆り立てるもの 巡礼の地とはそのほとんどが宗教上の聖地である。だが全ての巡礼者がその宗教の信者ではない。今回サンチアゴの道で会った巡礼者のなかにもカトリックでない人が何人かいた。ジョルディは無神論者だったし、ミゲルとティナも信者ではないといっていた。そしてたとえカトリックであっても宗教的な贖罪を求めて、というよりも自分の内面と向き合いたいと考える人も多いようである。 『サンチアゴの道を歩くことは、生きること、自分の内面を省みること、そして自分自身について考えることである。自分自身と向き合うための静かな時である。仕事をしていてこうした機会をもてるかどうかどうか、私にはわからない。』(中年の男性) 15日間を一緒に歩いたマノーロの場合は次のような理由で巡礼に出た。大学を卒業するために彼は法学の難しい試験に合格する必要があった。そのための勉強を続けていたある夜、彼は就寝前に自分自身と神に「この試験に無事受かったらサンチアゴの道を歩く」と誓った。そして無事試験をクリアし、兵役につくまで十分な時間をもった彼はその誓いを果たすためアラゴン地方のハカから歩き始めた。 宗教的な贖罪のため、自分自身を見つめ直したいといった精神的なもの、スペインの道を歩いてみたいという文化的、観光目的...いろんな理由を自分なりに考えてみたのだが、一人一人にそれぞれのいきさつがあり、それぞれの思いを抱いて巡礼にでてくるので決して一概にはいえない。だが確かなことはどの人にとってもそれは自然なことだったようだ。朝起きて歯を磨き、朝食をとるように巡礼にでる。そして歩きながらはたと思いついたように自問する。「自分はどうして歩いているんだろう」と。答えはでない。実際、私は人から巡礼にでた理由を尋ねられたとき、自分なりに経緯や理由を説明しながらなにか言い尽せない、うまく説明できていないことを常にもどかしく思っていた。これは他の人も同じだったようである。他の人から見れば不思議なことなのかもしれないが巡礼にでることはその人にとって必要なことだった、必然だったとしかいいようがない。 「El camino te engancha.(道が君を魅きつける)」 |
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updated:2001.7.31
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