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スペイン・サンチアゴ巡礼の道
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V. 巡礼一般についての私見

2. 巡礼と差別

巡礼では階級性、差別的なものがなくなる。
 熊野権現は「浄不浄をとわず、貴賎にかかわらず、男女をとわず」に受け入れてくれる神であるという。また同じような言葉はサンチアゴの道にもある。道すがら肌身離さず持っていた巡礼者手帳にはこんな詩が書かれていた。

 『門は全ての人に開かれている。病人にも健康な人にも、カトリックだけでなく、異教徒にもユダヤ人にも。貧者、愚者であろうとも。もっと簡単にいえば信者であろうと無宗教の者にも。(詩, 13世紀) 』

 前にも紹介したが巡礼者のなかには、罪人やハンセン病といった不治の病に冒され、共同体では生きられなくなった病人がいた。巡礼の道とは、こうして社会から追われた人々が生きられる空間だったのである。

 私達が生きる社会が社会秩序、階級性の整った社会だとすれば、巡礼とはその対極に位置するものともいえる。巡礼では階級や序列は排除される。目的地に向かって歩くという点では金持ちも貧乏人も偉い人も偉くない人も同じなのである。ヨーロッパや日本で巡礼が盛んになった時代というのはこうした社会的序列が固まってきた時期なのではないだろうか。

 映画の話になるがアメリカ合衆国の1960年代の黒人指導者マルコムXの生涯を描いた『マルコムX』ではメッカ巡礼の場面がでてくる。マルコムは黒人イスラム教徒の一団、ブラック・モスレムの活動を通じて白人の糾弾と黒人の意識革命を訴えるのだが、教団内部の亀裂から運動は曲がり門に差しかかる。この転換点にあってマルコムはイスラム教徒の念願であるメッカ巡礼を行ない、これが彼の思想に大きな変化を与える契機となる。その場面、マルコムから家族への手紙を引用しよう。

 『イスラム世界での旅のなかで、私は、アメリカでは白人とされている人達と会い、話し、そして食事さえもしました。今の今まで、その肌の色を越え、全人種が一緒になって実践した、本当の、偽りのない兄弟愛というものに出会ったことはありませんでした。
 私がこんな言葉をいうのにショックを受けるかもしれません。私は同胞イスラム教徒と同じ神に祈りを捧げながら、同じ皿で食事をし、同じコップで水を飲み、そして同じベッドで寝たのです。その同胞達とは目は青々とし、髪の毛はブロンドで、そして肌の色は全くの白なのです。私達は本当に同じ「兄弟」なのです。』

 私達、サンチアゴの道をいく巡礼者も同じ志を抱く同胞者だったといえる。実際、私も東洋人、日本人だからといって何ら不快な扱いを受けることはなかった。だからこそ、「III.旅日記から・<< Extra - 到着後 >>」で述べた「コンポステーラ」の一件は残念な出来事だったのである。


<カテドラルで祈る人・石柱が五指の形にえぐれている>

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updated:2001.7.31