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メルマガ/vol.13
2001.12.19 |
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Contents
(1) 「回顧:30年目のスミソニアン、通貨・石油・市場」 |
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サンフランシスコの小田です。
今日が、スミソニアン合意から30周年にあたる日だって、皆さんご存知でした? その後の30年の日本と世界の移り変わりを改めて考えてみると、本当にいろいろな思いが去来します。今号のGEO Global Magazineには、スミソニアン合意30周年の記念日あたり、IPO(新規株式公開)プロジェクトプロデューサーの荒木裕一さんが、日本、米国、ヨーロッパにまたがる大変興味深いエッセーを寄せてくださいました。ぜひ皆さんも荒木さんの論考を参考に、一緒に考えてみませんか。 小田康之(oda@geo-g.com) |
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────────────────────────────────────── ★「回顧:30年目のスミソニアン、通貨・石油・市場」 荒木 裕一(アリックス・プロジェクト・マネジメント 代表取締役) ────────────────────────────────────── ▼12月18日の持つ意味 12月18日が来ました。 以前も書いたことがありますが、30年前の12月18日(日本時間では12月19日ですが)のスミソニアン合意で円は対ドルに対して戦後初めて360円から切り上げられ308円となり、2年後のバレンタインズデイに完全変動相場制に移行しました。(ちなみに沖縄の会社に額面金額が306円という会社があるのを何例か見たことがありますが、1975年の日本復帰当時の1ドルの交換レートそのものを表しております。)ゲーム化していく”今”はこの頃から始まったように思います。 同じ年のさかのぼること数ヶ月前の日本の敗戦記念日に大統領ニクソンはアメリカドルの普及により構造的に下がらざるえないものとなったドルと金との交換を停止しています。通貨が実体となる見える価値(金)から初めて離れた瞬間だと思います。 それ以来通貨は国に関するファンダメンタルズ派とテクニカル分析によるチャート派の議論の対象となる市場商品そのものとなりました。インターナショナルな市場商品そのものに、その存在を変えていったといえるのでしょう。 発券国のファンダメンタルズのみではなく、あたかもドルが普及している国そのものを、例えばアルゼンチンのような国々を”ドル文化圏”(決済方法等も含めたものとして文化圏という言葉を使ってみました)に取り込むことでその通貨供給量による価値の下落を相殺し価値を拡大し、膨張し続けているように思えます。 ドルという、自国経済力を背景とする通貨のもつ限定的価値基盤を放棄することによって普遍的と見られる価値を手にするという、パラドックスを逆手にとった手法で、アメリカを世界経済の基盤の中心にするという思惑が当時のニクソン、あるいはキッシンジャーにあったとすればその思惑は成功したかのようです。 ▼石油の時代の超克と格闘 高々30年前の1971年のことですが、日本はそれ以降、通貨の完全変動相場制の受け入れをはじめ、様々な分野での自由化とその一方でオイルショック等石油の時の基本的な枠組みとその時々のマネージメント達が格闘することになります。 1980年代以降での株式公開を見るとオイルショックを経て生き残った会社の多くがそのときどきに省エネ投資、工場の整理、組織の改編、新たな商品開発により乗り越えた様をつぶさに見ることができる場合が少なくありません。数年間の格闘の末に会社を変えていく足跡は、傍目から見ても見事です。 それぞれの会社にCVCCのホンダばかりではなく、例えば”新薬メーカーあらざれば薬品メーカーたりえず”といった小さな薬品メーカーの場合ような強烈なリーダーシップにもとづくドラマがちりばめられています。 世界各国においても上昇する石油価格の上昇に伴うコストの急上昇により様々な組織は、その組織維持のために効率的なマネージメントを採用せざるえなくなります。 効率的なマネージメントがとれなかった組織はどうなったか?経営学者ピーター・ドラッカーはその著書で社会主義圏の生産性が資本主義圏の1/4以下であったことを示し、ソビエトが崩壊する10年以上前からその組織的存続の難しさを指摘しています。 1970年代後半に登場するの鉄の女サッチャー、それに続くアメリカのレーガンの登場はまさにその時代そのものを反映した存在であり、彼らがとった市場主義的手法は”小さな政府”に表現される効率的なマネージメント手法の採用を様々な分野に求めました。 効率的なマネージメントを主張する市場主義の潮流は、一方で市場の拡大・市場に関する規制の撤廃を求め、他方で政府機関を含めた、様々な公益的な法人の民営化を主張しました。拡大する市場を認める制度改正ととともに、公益機関の民営化するマネージメントは拡大する市場に対するは市場商品をも供給することとなります。 先日のエンロン崩壊の記事の一つにイギリスの水道会社のことがフィナンシャルタイムズに掲載されていましたが、水道会社ですらサッチャーの時に民営化され、株式公開されたのを憶えていらっしゃる人は少ないかも知れませんね。その株式は日本でも販売されたのですが...ちなみに日本の民営化会社(主としてJRについてですが)等料金認可業種の株式公開にあたって、その特別記載事項(所謂リスクファクターズ)に「料金改定に関する考え方」という項目がJR株式公開時、あるいはNTT以降初めての電話会社の公開である第二電電(現KDDI)の公開時に載るようになりましたが、その際参考にしたのは実はこの一連の水道会社群の目論見書に掲載された「水道料金決定のq(トービンのqではありません)」というものを元にした考え方だというのを憶えている方は関係者の中でもほとんどいないでしょう。 また、実現したかどうかは憶えていませんが、イギリスの国有鉄道の民営化会社の株式公開にあたっては線路提供会社、運営会社という鉄道をバラバラな要素に分解した公開案が含まれていました。 ”鉄道は要素的マネージメントが不可能な業種である”すなわち”どんぶり”が最適というピーター・ドラッカーの指摘(私の曲解)からすれば、日本のJR各社の分割スキームでさえとんでもない計画ですが、イギリスのこの計画に対してはどのように解釈されるでしょうか。 様々な市場改革を経る一方自然発生的にセデルやユーロクリアーのような有価証券の決済機関が生まれ、拡大した市場の重要なインフラストラクチャーが構成されます。それらの円滑な市場運営のインフラをもつことにより、規制の少ない大きな市場は実現されたとも言えます。 こうした市場の確立をふまえヨーロッパ経済圏が、ローカル経済を背景にしたローカル通貨をすて統一通貨を獲得するというなりゆきは歴史の当然の結果とも言えます。 アメリカでは1975年の証券法改正以来、地域経済を背景とした各地の取引所が経済合理的に整理される一方でNasdaqが生まれ、NYSE(ニューヨーク証券取引所)やシカゴの商品取引所がナショナルマーケットとしてアメリカを代表する市場として成立します。 結果論的な言い方ですが、日本と異なりアメリカは石油価格の上昇に対する対応を市場の統一という手法の採用により乗り切ったとも言えなくもありません。 ▼日本のたどってきた道 日本が市場主義的改変を受け入れ、その市場主義的諸制度を取り入れるのは1990年代の最期になってからですが、未だに骨肉化されたものとはなっていないように思えます。 第二次臨調で表明された”競争により公共性は確保される(べきである)”というテーゼの表明の一方で”土地に利用価値以上の価値はない”という所有の根元的概念である土地と土地のもつ市場主義的価値に対する合理的理解を持ち得ず、土地幻想の残滓にたたきのめされている日本はその石油の時代の超克の第一ステージで見せた活力を未だ見せていません。 事業金融の場として有価証券市場を通常のナショナルマーケットとして考えることのできなかった日本の制度的弱さに基づくものともいえます。 企業等の事業組織に対し、メインバンク制という相対的金融保証組織により資金供給を受けるということで事業活動を行い、自分で、独立して、主体的に資金調達をさまざまなチャネルから行わねばならないという意識を持ちえなかった多くの企業等の事業組織の存在を許し、巨大金融機関の弱体化とともに、自らの事業組織の生命を絶たざるえない事業組織における精神構造の弱さかも知れません。バンザイクリフを見ているかのようです。 日本の戦後をリソースの有効な配分によって成長してきたとするならば、他者によって企画され、配分されたリソースよって経営する従属性に現在の日本の大不況の要因があるように思えます。 少なくともそれに反発して自動車事業を行ったホンダのような事業組織にはその独立の気概があったというべきかも知れませんし、CVCCエンジンのスペック公開を含めて人の生きていく環境に対する配慮はあったように思えます。市場戦い抜いていく事業組織でなければ、”独立”の寂しさ、強さとしたたかさ、それに他者に対する配慮と苛烈さはないのかも知れません。 一般的に市場に対してもつ日本人の嫌悪感は従属性を要求される中で醸成され、身につけてきた第二に本姓なのでしょう。 ▼新しい要請 朝がきてそしてそれなりに自分の仕事ができるということは大切なことです。それを促す電気、水道、電話、石油はその順序で安定していないと消費社会での通常の生活は崩壊して混乱します。 企業を含めた事業組織がもつべき新しい視点というのは事業組織の中においては少数精鋭による資源の最適化と効率化された経営というだけでなく人と環境に配慮した一歩遅れて進む姿勢も必要のように思えます。 ブレアの登場とともにヨーロッパ各国が取り始めた市場主義的制度改変の先にとる”第三の道”とはまさに上記のような通常の消費社会を混乱させる要素をまず制度的に安定させることではないのかと思います。 統一通貨ユーロはそのための基盤となる通貨をドルに対抗して、市場の強い様々な圧力を経済単位を拡大することで経済の基本となる通貨を安定させ、その上で電気、水道、電話、石油等の社会的インフラを安定させていこうとする努力に思え、人間の存在環境の確保という点で競争力のある通貨の安定が重要であるという表明のようにも考えられます。この考え方からすればイギリスポンドのユーロ編入は当然のことにな 消費生活を成立させる根本の要素である電気・水道・電話(この場合は通信)・石油(天然ガス)までも徹底して市場商品として成立させようとした先日のエンロンの生き方にあるように、あるいは京都議定書の批准拒否に現れているように、通貨における世界戦略・ドル文化圏を確立しえたアメリカは、市場主義的展開により世界同時不況という隘路をうち破ろうとしているかのようです。 先の世紀の大きな戦争の時に課題であった大不況/経済体制崩壊の克服を、先の時代では”ブロック経済体制”で克服しようとし、最終的にブロック間の対立から大きな戦争を克服できませんでしたが、この世紀の各国上記のようなやり方でこの大不況/経済体制の崩壊を防ごうとしていこうとしているようにも見えます。 それぞれの陣営に属する各国が様々に次世代への道を模索している中で、日本は社会を安定させる基盤である競争力のある金融組織(金融機関のみではなく)すら確立できていないように見えます。 アジアの安定は一方的でなく組織的に絡み合った各国の安定的成長によって初めて実現できるものであるとしたら、大陸中国の経済的成長とは別の局面で日本の金融体制の安定は大変重要な課題となりはずです。 30年目のスミソニアンは1ドル360円だった日から360ヶ月目という冗談のような語呂合わせのような日でもありますが... 【筆者プロフィール】 |
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updated:2001.12.19
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