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メルマガ/vol.14
2002.01.01 |
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Contents
(1) GEO Global オーガナイザーより新年のご挨拶 |
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サンフランシスコの小田です。 新年明けましておめでとうございます。 昨年は、地域研究組織GEO(ジオ)として6年を期し、新たにGEO Global(ジオ・グローバル)として活動を開始しました。オフラインの行事は、以前よりも少なくはなりましたが、メルマガやウェブサイト等を通じ、インターネットに活動の中心を移しながら、新たなをスタート切ることがことができたのではないかと思います。 皆さんからの新企画のご提案なども大歓迎ですので、どうぞお気軽に geo@geo-g.com またはいずれかのオーガナイザーまでメールをお寄せください。 今年もGEO Globalで世界を考え、そして楽しみましょう。 さて、今号のGEO Global Magazineは、各オーガナイザーの近況を含めた新年のご挨拶。そして、それに続いて、タイを経てカンボジアに滞在中のおなじみ笹川秀夫さんからの論考です。笹川さんを悩ませた「チャイナ・ドールズ/中国娃娃」のCDの背後に見え隠れするものは... 小田康之(oda@geo-g.com) |
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────────────────────────────────────── ★GEO Globalオーガナイザーより新年のご挨拶 小田康之・牧野元子・高野靖子・寺田恭子・鳥飼達博・平野輝美 y 【オーガナイザー】 ■牧野元子 (まきの・もとこ)makino@geo-g.com ■高野靖子(たかの・やすこ) takano@geo-g.com ■寺田恭子(てらだ・きょうこ)terada@geo-g.com ■鳥飼達博(とりかい・たつひろ) torikai@geo-g.com 【geo-g.comウェブページ制作担当】 |
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────────────────────────────────────── ★「商品化される中国らしさ(1)タイの場合」 笹川 秀夫(日本学術振興会特別研究員) ────────────────────────────────────── 12月中旬、東北タイを数日かけてまわってから、12日に陸路でカンボジア入りしました。シソポン、シアム・リアプ、コンポン・トムと、トンレサープ湖北岸の街に2−3泊ずつ寄り道をしてから、19日にプノンペン着。 プノンペンでは、いつもと同じ、中国系のオーナーが経営する安宿に荷を解きました。扉のたてつけが悪い、シャワーのお湯がぬるい、たまに巨大なゴキブリが出るといった問題点はあるものの、テレビ、クーラー、冷蔵庫がついて一泊10ドルは魅力です。そして、西洋化していないためか、部屋の電気が極端に明るいのも、本を読んだり、コンピューターを打ったりするには都合がよろしい。 ひとしきり誉めた(?)ところで、今回のお題を設定しましょう。中国系の安宿の話から入ったので、タイとカンボジアの中国人、この線でまいります。ただし、長くなりそうなので、カンボジアの話はお次の回に。 季節感のない話題で、ごめんなさいね。でも、まわりは上座仏教徒ばかりでクリスマスは関係ないし、カンボジアのお正月は4月中旬だしで、仕方ないのであります。では、はじまり、はじまり。 ▼中国らしさの売られかた 「チャイナ・ドールズ」という女性2人組のヴォーカル・グループがいます。どこにいるかというと、タイにいます。グループ名から推測される通り、2人とも中国系です。チャイナ・ドレスに妙なおかっぱ頭、「一重まぶたの細い目が云々」という歌詞など、中国らしさを売り物に、3年くらい前にデビューしました。 初めて目にしたのは2年ほど前、やはりプノンペンにいて見たNHK海外衛星放送の歌番組です。日本のアーティストがタイに行って、タイのアーティストと一緒にライヴをするという趣旨の番組でした。日本側からまず「ダ・パンプ」が、つづいてタイ側からチャイナ・ドールズが登場。日本における沖縄らしさの商品化と、タイにおける中国らしさの商品化を立てつづけに見せつけられて、「うわあ、売られてるよ」というのが最初の印象です。曲もいまいちピンとこなくて、「よし、CDを買うぞ」という気にはなれませんでした。 ▼売られるのには、わけがある(1)売れなかった時代 ぼく自身はCDを買う気になれなかったけど、このチャイナ・ドールズ、デビュー当時からタイでかなり人気があったらしい。このように、中国らしさを売りにするグループが90年代末になって現われ、かつ人気が出るという現象を理解するには、タイにおける中国人の歴史を紐解かねばなりません。 バンコクに都する現ラタナコーシン朝初期の興隆は、中国との関係が大きな要因のひとつだったといえます。まず、18世紀後半から19世紀前半を通じて、王家が独占していた清朝との朝貢貿易が、多大な富を生み出しました。朝貢といっても、乗組員は自分の荷物を中国で売り払い、中国の品物を買い込んで、本国に運ぶことが許されていました。朝貢の名をかりた交易による利益が、王朝の経済を支える重要な柱だったわけです。 そして、主に中国南部の潮州(福建省と広東省の境にあります)から、多数の労働者や商人が移民としてタイに渡りました。人が動けば、文化も動きます。現王朝の初代王、ラーマ1世が18世紀末に勅命を下して翻訳された『三国演義』(つまり、小説の方の『三国志』ですね)は、タイにおける初の散文小説です。 こうした中国との関係が大きく変化するのは、前回の拙文にて歴史劇(もしくは、歴史に仮託した政治劇)の作者として名を挙げたラーマ6世の治世です。6世王は、演劇の脚本ばかりでなく、いろいろなペンネームを用いて、数多くの論考を残したことで知られています。そうした論考のひとつに、「東洋のユダヤ人」として中国系の移民を非難するものがあります。非難された移民たちはもちろん、引き合いに出されたユダヤ人にとっても迷惑な話ですが、20世紀の初頭、タイで国民形成が進められるにあたって、「われわれ」タイ人とは異なる存在として、中国人が他者だと認識されるようになりました。 その後も、1949年の中華人民共和国成立や、タイ共産党に毛沢東主義の影響が強かったことなど、タイにとって中国および中国人は脅威でありつづけます。だから、国内外に存在する最大の他者、さらには最大の敵としての中国人像が変わることはありませんでした。 ▼売られるのには、わけがある(2)売れるようになった時代 1980年代後半から、タイと中国の経済的な結びつきが強まるにつれて、タイにおける中国人観にも徐々に変化が訪れました。とくに90年代に入って、中国らしさや「中国人」であることの主張は、ある種の流行になったといえます。ただし、状況によっては「私はタイ人だ」と主張するかもしれないので、この場合の「中国人」はあくまでカッコ付き。 ともかくも、バンコク以外の地方都市も含めて、街に漢字があふれ、漢字風のレタリングでタイ文字が記された品物(中国を扱ったタイ語の書籍なんかでよく見かけます)が商品価値をもつ状況が出現してはじめて、チャイナ・ドールズのようなグループがデビューし、かつその曲がヒットしえたといえます。 なぜ売れたかはわかったけど、ぼく自身が買おうという気になるには、もう一段階必要でした。デビューして1年ほどしてから、このチャイナ・ドールズはグループ名を「中国娃娃」と中国語訳して、台湾でレコーディングを行ないました。これが、ぼくが買おうと思った契機です。 ▼売られる側のしたたかさ 台湾で収録されたアルバムは、もちろん歌詞が中国語。ただし、サビやなんかにタイ語が少し出てきます。そうそう、書き忘れてました。デビュー以来、タイで収録した曲は、サビに英語が少々出てくる以外は、すべてタイ語です。 この中国語のアルバム、中国語圏でけっこう売れたらしく、香港発信のMTV(プノンペンの宿で受信できます)でプロモーション・ビデオをちょくちょく見かけました。さらに、このMTVに本人たちが登場。驚いたことに、会話の中国語も完璧。タイの中国人って、上記の厚遇・不遇の時代を通じてタイ人に混ざっていて、中国語(北京を中心とした標準中国語)ができる人って少ないんですけどね。 ここで、疑問がひとつ生じます。チャイナ・ドールズがタイで売っていたのは、中国らしさでした。では、中国娃娃は中国語圏で何を売っているんでしょうか?タイらしさ? そんな単純なものではなさそうです。サビにタイ語が出てくることや、「一重まぶたの細い目が云々」という歌詞の曲も中国語版に収録されていることを考えあわせると、中国娃娃が売っているの中国系タイ人らしさであり、在外中国人らしさであるように思います。タイ人らしさ、中国人らしさ、中国系タイ人らしさ、在外中国人らしさを状況に応じて使いわける、そんなしたたかさや強靭さを彼女らに見てとりました。 (たぶん次号につづく) 【筆者プロフィール】 |
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updated:2002.01.01
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