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メルマガ/vol.25
2002.09.11
Contents

(1) “外国人”として感じる9・11」
高橋 真市(マーケティング・ストラテジスト、在サンフランシスコ)

 みなさん、こんにちは。

 あの日から1年がたちました。米国のメディアは、9・11の特集一色になっています。9・11については、さまざまな解釈がなされ、議論も百出です。そんな報道や識者のコメントの嵐から一度離れて、自分なりに考え、この機会にあらためて解釈し直してみるのも意義あることではないでしょうか。

 さて今号ではじめて登場するのは、高橋真一さん。米国サンフランシスコに住み、ニューヨークのワールドトレードセンター跡にも立たれた視点でのエッセーです。高橋さんの見るところでは、アメリカはジャイアン、日本はスネオ、中東はのび太とのこと。さてその意味とは。

小田康之(oda@geo-g.com

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★「“外国人”として感じる9・11」
高橋 真市(マーケティング・ストラテジスト、在サンフランシスコ
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 去年の9/11、僕は日本出張からの帰宅直後で猛烈に体調を悪くして寝込んでいた。当時は友人B(アメリカ人)の家に住まわしてもらっていたのだが、その日の早朝、血相を変えてBが僕を起こしに来たのを覚えている。悪寒がしつつもテレビの前に座ったのだが、なんにも覚えていない。ただ、Bが異常に動揺しているのを妙に冷静に眺めている自分がいた。その頃の僕は米国に負け続きで、映画「パールハーバー」の公開等で大変右寄りになっていた。Bを含むアメリカ人の動揺、妙にそれがおかしかった。

 それっきり、テレビを滅多に見ないため、いったいWorld Trade Centerでなにが起こったのか人づてに聞くしか情報はなかった。非常に心配していたのはNY在住の友人K(日本人)のこと。彼はWTCから歩いて数分のところに住んでいるんだ。そして、当然のように電話は通じない。

 さすがにもう駄目なのか..と悲観していた。殺したって死にそうにない人なのに。1週間ほどたった頃、突然彼から電話がかかってきた。生きているから心配はいらないと。ケータイ電話をやっと手に入れ、知り合いの家にしばらく置いてもらっていると。まずは幽霊からじゃないことに一安心。

 彼のオフィスはまさにWTCの真向かいにあり、2つ目の飛行機がつっこんだところもオフィスから見ていたらしい。どんな心境だったのか、僕には到底想像もできない...。

▼Ground Zeroに立ってみて

 去年のクリスマス、別の友人J(アメリカ人)を訪ねてニューヨークを訪れた。ミュージカルを見たあと、雪でも降りそうな空気の中、WTC跡まで歩いてみた。もちろん途中で立入禁止になってはいたが、それでも数ヶ月が過ぎたというのにまだ重油が燃える匂いと死の匂いが立ちこめていた。

 周りのフェンスには花束や犠牲者の遺族からのメッセージ、さらに行方不明者を探す紙が所狭しと貼られていたのを覚えている。寒かったのもあったが、その時のJは泣いていた。僕もつられて一緒に泣いた。遺族の悲痛な想いが胸につきささってくるようで。

 それからさらに半年以上が過ぎた。

 WTCの残骸はもう跡形もなく取り除かれ、周りの住人は普通の生活に戻っていた。Kのオフィスに立ち寄り、間近でGround Zeroを見た。今はただ、巨大な穴が口を開けている。跡地利用はまだ決まっていないので、とりあえず地下鉄の復旧作業だけでも続いているらしい。雨の中、夜中でも煌々と照らす灯りの中、死の匂いを取り払うかのように作業が続けられていた。

 それからGroud Zeroの真横に立ってみた。息が苦しい。心臓が痛い。(広島の原爆ドームに行った時もこんな痛みがあった..。)ただただ、犠牲者の無念を想い、何も言うことができなかった。いったいどんな恐怖がここで起こっていたのか。あまりの恐怖に窓から飛び降りて亡くなった人々の数、約300人。

 夜、Kの家で9・11のスペシャル番組のビデオを見つけた。ちょうどその当時、フランスからのテレビカメラマン兄弟がニューヨークの消防局のドキュメンタリー番組を密着で取材していた。まさにWTC近くで。彼らは消防員と共に惨劇を目にし、共にWTCの中に入り、また死の恐怖を味わった。初めて見る衝撃的な映像。倒壊するタワーの中にいる恐怖。逃げまどう人々。亡くなった者達、助かった者達、すべてが生の映像として映し出されていた。映画ではない、すぐ隣に1年前に現実にあったこととして。

 Kに声をかけられて、はっと我に返った。いつのまにか涙を流していた。タワーの中にいた人たちのことを思った。救助に向かった警察や消防員のことを思った。飛行機の中にいた人たちのことを思った。通勤中にその惨事に遭遇した人たちのことを思った。それから、こんなすぐ側で住んでいたKのことを思った。

▼アメリカだけの問題?

 この事件を機に、アメリカはまた戦時体制に入っていった。報復合戦が始まった。

 なんの意味があるんだろう。血は血を呼び、報復合戦に終わりは永久にくることはない。能なし米国大統領はほかに政策がなく、戦争特需を期待している。アメリカ人の大半は、アメリカへの初めての攻撃だ、と愛国心を強め、さらに英雄という名札のついた大げさな鎧をかぶった弱虫大統領を支持している。

 最近思うことがある。人間はある極限に達すると言い訳が必要になってくる。いや、誰かのせいにしないと収まらない。経済が悪くなっていくのも、地球環境が破壊されていくのも、電気代が値上がりするのも、会社をクビになるのも、旦那が浮気するのも、恋人が実はゲイだったっていうのも、奥さんが浪費家なのも、息子がバカなのも、娘がドラッグに溺れるのも、車をぶつけられるのも、渋滞するのも、天気が悪いのも、スターバックスがあちこちにありすぎるのも、空が青くて太陽が暑いのも、自分がデブで不細工なのも、きっと誰かのせいなんだ。この誰かっていうのを、今アメリカ国民が全体でアフガニスタンやイラクのせいにしている感がある。(ちなみに日本はというと、今の状態を誰かのせいにしたいけど、誰もいない状態に思える。その結果、無理力、自信喪失が蔓延しているように見えるのだが..。)街中ではいまだに星条旗がかかげられ、アラブ系移民の排斥も起こっていたりする。

 そうじゃないんだよ。

 WTCの惨事はアメリカの悲劇じゃないんだ。地球全体の悲劇なんだよ。

▼ジャイアンなアメリカ、のび太な中東、そしてスネオな日本

 外国人として、この突如として湧いたアメリカの愛国心には異様な胃のむかつきが抑えられなかった。この惨事はもともとアメリカの傲慢さが招いた結果。アメリカが世界の中心などというローマ帝国時代のような幼稚な過信が招いた悲劇。実際にアメリカ側を心の底から支持する外国人はどれだけいただろう。WTCの被害も、広島・長崎に落とされた原爆被害者の数の足下にも及ばない。それを棚に上げてアメリカだけの悲劇にしたてあげる手口に不快感を覚えた。世界のリーダーなどという自家製のタイトルを作って他国の内政に平気で干渉してくる以上、いつかはこんなことが起こってもしかたがない。この事件は当然の結果として僕は受け止めていた。

 日本に目を向けてみる。米国には真珠湾攻撃や南京大虐殺など、都合良く世界の悪者にしたてあげられ、今だに韓国や中国との「歴史的」確執の火種を蒔いてるというのに。いい例えがあった。

 アメリカはジャイアン。日本はスネオ。中東の敵はのび太。(実際、ジャイアンとのび太は割と仲いいから、ちょっと無理があるかな。)スネオは普段はジャイアンの言いなり。でも、実はあまりよくは思ってもいない。ドラえもんの道具が欲しいから、割とのび太とも仲良くやってたりする。お金があるから一人でも遊んでいられる。だけど割と周りからはいびられるけど、ジャイアンを盾に自分を守る。のび太はたまに兵器というドラえもんの道具を以てジャイアンに仕返しを始める。もちろんジャイアンは報復に走り、スネオも一緒についていく。ジャイアンに立ち向かう勇気は持ってないから。

 ジャイアンは誰かを攻撃し続けることで子供達のリーダーの座にいれることを知っている。のび太もジャイアンも年を取らないし、ドラえもんは無尽蔵にのび太に武器を出してくる。永遠にジャイアンとの確執は終わらない、共通の敵が現れるまで。こんなことで、スネオはいつまで2人の間に挟まっていられるのか、非常に疑問だ。

 スネオにしかできないことはあるはずなのに。スネオは将来、自立した大人になれるのだろうか。

▼“外国人”の目から見た現状

 これから世界はどうなっていくのか。またこのWTCのような惨事は繰り返されるのか。たぶん...、また起こるだろう。1周年に向けて、さらに厳戒態勢が敷かれるらしい。テレビでも特番が着々と準備されている。地域でも様々な集会が行われるらしい。

 僕は思うんだ。

 もっと世界に目を向けようよ。こんなに様々な生まれや人種がいる国なのに、あまりにも“アメリカ”という幻想に惑わされて同じ井戸に落ちてしまった人が多すぎる。アメリカに来たばっかりの頃、「なんでアメリカは他国の戦争に介入するのか?」ってBに聞いたことがある。B曰く、「アメリカは移民の国だから、他国も祖国の一部であり、それらの秩序を守るのが役目だと思ってるから。」その時は、ちょっと納得もしたんだ。でも、このテロ事件のあと、Bのこの発言はまったくのBS(大嘘)だとわかった。結局は“アメリカ合衆国”を守るための戦争が始まった。今年の9月11日には赤・青・白(アメリカ国旗の色)の服を着よう!ってキャンペーンがあって、台湾系の友人Pに「それってなんかおかしくない?なんでアメリカだけの事件なの?」って聞いたら、「なにがおかしいのさ??」ってまったく意味がわかってもらえなかった。要は、自分たちのオリジナルの国と戦争しても、大部分の“アメリカ人”からするとそれは誰か一部の人の国であり、所詮他人事。アメリカ兵が負傷なんかしようものなから大騒ぎだけど、“敵国”人を何人も殺そうがそれは讃えられること。人の命に重みなんて付けられないのに。ただ、自分たちのオリジナリティを地に埋めて一国をスケープゴート(みせしめ)にしてしまう姿にものすごく違和感を覚えるんだ。

 先の2つの大戦で、人はもっと利口になったと思ってたのに、これじゃあ全然変わっていない。“外国人”である僕には何もできないかもしれない。そんなジレンマを感じながら、Ground Zeroをあとにした。

【筆者プロフィール】
高橋 真市 東京大学工学部卒業後、いくつかの外資系IT企業でマーケティングを担当。2001年よりサンフランシスコに移り、友人の設立したソフトウェア会社にスターターメンバーとして参加、現在に至る。アメリカでのてんやわんやな生活を日本の友人達に配信すべくホームページを開設。

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updated:2002.09.11