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メルマガ/vol.31
2002.11.22
Contents

(1)「消防士のスト、火災発生、焼死者続発・・・イギリスでは、なぜこんなことが許されるの?」
       勝間田 弘(英国バーミンガム大学大学院・在英国)
(2)「ピースボート周航記(3)パレスチナからの便り」
       渡辺 真帆(コミュニケーション・コーディネーター)

 みなさん、こんにちは。

 去る11/15に開催されたサブグループのVital。ビジネスや公共政策について英語で討論をする勉強会ですが、本当に多様かつ高いレベルのバックグラウンドの方々が集い、たいへん充実したスタートとなりました。
<http://gaikoku.info/vital/record/1/20021116.htm>

 Vitalの次回の勉強会は、12月15日(日)に、テーマ「石油とエネルギー −揺れる中東、沈没するタンカー: エネルギー問題とどう向き合うか−」と題して開催されます。詳細の案内は次のURLにあります。
<http://gaikoku.info/vital/event.htm>

 12月7日(土)に開催されるGEO Globalの第43回コロキウムと恒例の12月パーティーもお忘れなく。

 さて、今号のGEO Global Magazineでは、まずは久々にご登場の勝間田弘さん。シンガポールからイギリスに戻られましたが、「火の元に注意」の日々。

 連載「ピースボート周航記」の渡辺真帆さんは、パレスチナからのお便りを届けてくださいました。

小田康之(oda@geo-g.com

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★「消防士のスト、火災発生、焼死者続発・・・イギリスでは、なぜこんなことが許されるの?」
          勝間田 弘(英国バーミンガム大学大学院・在英国)
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 消防士がストに入り、その間に火災が発生。焼死者が全国で何人も出ている。これが、この原稿を書いている現在のイギリスの状況です。

 研究目的でイギリスにいる筆者、ここで火事におびえています。火災から市民の安全を守るはずの消防士が、ストに入っているのです。

 消防士がストに入るなど、日本の常識では考えられないことでしょう。イギリスではなぜ、このようなことが許されているのでしょうか。

▼要求は給与40%アップ

 ことの始まりは国会議員の給与アップでした。自分たちの給与を40%上げることを議員が国会で決めたのです。

 これを見た消防士たちが同じ事を要求しました。国会議員に許されるのならと、自分たちの給与の40%アップを求めたのです。

 政府としては、他の公務員を無視して、消防士にだけ特別に高額を払うことなどできません。政府と消防士たちとの交渉は決裂。消防士たちはストに入りました。13日から始まった48時間ストです。

 スト中に火事が起こったら、消防士の代わりに軍隊の消火部隊が作業を担う体制になっています。しかし彼らには十分な経験がなく、人数も不足しています。したがって事実上、町は無防備な状態にあるのです。

▼火災発生

 不幸な事件は、起こるべくして起こったと言えます。スト期間中、イギリス全土で焼死者の出る火災が発生しました。もしもストがなかったら、不幸な結末は防げたかもしれません。

 一番ひどい事件は、消防署から1kmも離れていない場所で、火災により老人が犠牲になりました。

▼ヨーロッパの伝統

 なぜ、これ程ひどい状態になっても消防士のストは許されているのでしょうか。日本では、多くの公共サービスのストは禁止されている筈です。しかしイギリスは、軍隊と警察以外は誰でもストをしてよいことになっています。

 この理由は、ヨーロッパの福祉国家の伝統にあります。住んでみると分かるのですが、左翼勢力というか、労働者勢力が驚くほど強いのがヨーロッパです。労働者の権利が尊重されていて、郵便、電車などの公共サービスが頻繁にストに入ります。

 したがって、今回ここまで町が混乱しても、公共サービスのストは全面禁止するという動きは出てきていません。

 この原稿が読者の皆さんに届く頃には、問題が解決していることを祈るばかりです。それまでは火の元に気をつけます。


【筆者プロフィール】
勝間田 弘(かつまた ひろし) 英国、バーミンガム大学大学院、政治・国際学部博士課程在籍中。冷戦後のアジア太平洋地域における政治・安全保障協力への、社会学的理論によるアプローチを目指す博士論文を執筆中。アセアン諸国の役割を考察するためにシンガポール国立大学大学院政治学部での研究を経て、現在英国に在住。メルマガ「教科書に書いていない国際政治学」
(http://members.aol.com/hiro102570/magazine2.htm)著者。
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★「ピースボート周航記(3)パレスチナからの便り」
        渡辺 真帆(コミュニケーション・コーディネーター)
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10月15日(火)

 11日にラスパルマスで下船したIS(国際学生)のメンバーの一人、パレスチナ人のワリッド君からスタッフ皆に、無事にパレスチナ自治区のラマラに到着したと言う連絡があった。ラスパルマスでISプログラムを終了して降りた7人の内、議長府のあるラマラに帰って行くワリッド君の安否がここ数日一番の気がかりだった。覚えたての関西弁でいつもみんなをからかって、最後まで大きな口を開けて“がははは”と笑っていた、まだあどけなさの残る22歳のワリッド君。1ヶ月半のピースボートでの旅を終えてパレスチナに帰った彼を待っていたものは、一体何だったのだろうか。

 今クルーズに乗船した8人のISに初めて会ったのは、東京の外国人記者クラブの一室だった。ピースボートのクルーズでは世界各地の紛争地域出身の若者達を、毎回“国際学生”として招待し、船内でのディスカッションやワークショップなどを作り、異民族同士の“対話”の場を作っている。今回乗船したのは、インド、パキスタン、コロンビア、ボスニア、セルビア、イスラエル、そしてパキスタンからの8人。皆ジャーナリストとして各地で活躍している若者達である。

 彼達と一緒にレクチャーなどを作って行く予定であった我々CCは、出航まで間もない8月のこの日、それぞれが担当するISと対面した。私の担当はインド出身のサプタリシ・バタチャヤさん、28歳。通称リッシ。新聞記者で、「核兵器に反対するジャーナリストの集い」のメンバーでもある。小さい頃空手を習っていたと事前に聞いていたので、これは仲良くなれそうだと思い彼の担当になったのだが、試しにローキックをかましてみたら、私の鈍いキックすらまともにブロックできなかったので、残念ながらその後一緒に空手をすることはなかった。一見漫画に出てくる悪い王様みたいな顔をしているリッシだが、つきあってみると、すごい女好きで、酒好きで、かなりクセのある文章を書く面白い奴だと言うことが判明。彼は個性的なISの面々をまとめる、リーダー的な存在でもあった。

 リッシの他にも、旧ユーゴからはボスニアのラジオ局に努めている、年中船酔いをしていた24歳のヤスミナや、セルビアのテレビ局“B92”で番組製作をしている双子のようにそっくりなドゥシャンとシャプケがやって来た。パキスタンから来た26歳のフリージャーナリスト、ジニ?は、昼間はパキスタンでの女性の人権侵害の話をし、夜はほぼ毎晩デッキのバーで酔いつぶれる毎日。コロンビア出身のピリはラテンダンサーとして、よくのりのりでサルサを披露してくれた。

 とにかく楽しいメンバーで、それぞれの国では大変なことが起きているにも関わらず、いつもピースボートに乗れるのがうれしくてたまらないと言った様子だった。毎朝のワークショップでは自分の国の抱えている問題を他のメンバーに発表し、いかにして問題を解決するかと言ったことを様々な側面から討論していた。
 普段は自分の国や地域の抱えている問題で手いっぱいのISにとって、他のメンバーの直面している問題を知ることはとても意味のあることだったようだ。更に自分達の国や地域の問題を日本人乗客の前でプレゼンテーションしたり、新しくできた日本人の友達からビールを飲みながら日本語を勉強したりと、洋上という
 独特のスペースで色々な経験をしたようである。一体誰から習ったのか、“ピースボート、すばらしい経験で?す!”といつも怪しげな日本語で叫んでいたのが印象的だった。

 そんなIS達の中でも、現在最も緊迫した状況下にあると思われる地域からやってきた、パレスチナ人のワリッドとイスラエル人のウリはとても対照的で、とても印象的だった。イスラエル軍によるパレスチナにおける軍事行動について報道し続けている24歳のウリは、自分の国がパレスチナの人に対して行っている行動は、許されない行為だと思っており、イスラエルとパレスチナの両方の人々に真の平和が来ることを臨んで報道を続けている。どうかすると反米的、そして反イスラエル的と言った雰囲気のあるピースボートの上で、彼は平和を望むイスラエル人として、一人辛い思いを味わっていたと聞いた。自分の国に全く愛国心を抱けないと、半ば投げやりな表情でそう言ったウリは、船の上でよく居心地の悪そうな、シャイな笑顔を浮かべていた。

 一方で“自分の父よりも母よりもパレスチナを愛している”と力強く語ったラジオ局マネージャーのワリッドもまた、紛争地から遠く離れた“平和”なピースボートの上で、複雑な表情を浮かべることが多かった。いつも元気いっぱいな笑顔で日本人乗客と挨拶を交わす彼だったが、時々とてつもなく暗い表情になり、食事の途中などに急に席を立ってしまうようなこともあった。彼の仲間達や家族がいつ命を落とすとも知れない戦火の中で闘争を続けているのに、自分一人が全く遠い、平和な場所で楽しい思いをしている。それが彼にとっては耐えられないのだろうと、ISコーディネーターの方から聞いた。

 何にも一生懸命だったワリッドは、関西弁も覚え、初めての日本食にも恐る恐るトライし、限られた特別な時間を、本当に一生懸命楽しんでいるように見えた。
 そしてイスラエル・パレスチナのレクチャーでは、パレスチナ人の象徴でもある白地に黒い斑点のプリントされた布を肩に掛け、真っ直ぐに観客を見つめて平和の大切さを吶々と訴えた。“僕はいつか、必ずパレスチナの子供とイスラエルの子供が仲良く手を取り合って遊んでいるような、そんな日が来ることを信じている”と言った。そして隣に座っているウリの手を取って、“僕がパレスチナの議長で、ウリが首相だったら、もうたった今から戦争なんかお終いなのにな。”彼はニッコリ笑ってそう言った。

 パレスチナに無事に戻ったと言うワリッドからの第一報に歓声を上げた我々スタッフだったが、彼の次の言葉を聞いて声を失ってしまった。「僕は無事に戻りましたが、一緒にラジオ局をやっていた僕の親友がイスラエル兵に殺されていました。」
 必死の決断をして故郷を離れ、仲間を置いてピースボートに乗ってきたワリッド。船の上でイスラエル人のウリと共に平和を訴え続け、いつ訪れるか分からない“平和”を夢見て諦めなかったワリッド。そして“おかえり”を言ってくれる親友をも失ってしまったワリッド。それでもピースボートは“素晴らしい経験だった”と言ってくれた彼を思って、涙が出て仕方がなかった

【筆者プロフィール】
渡辺 真帆 <http://www.mahonicle.com>
神奈川県、横浜市出身。99年秋に渡米。今年5月にサンフランシスコ州立大学、ジャーナリズム学科を卒業後、帰国。在学中から日系新聞社、日米タイムズで英文記者として様々な分野の記事を書く。現在は船で世界一周の旅をするNGO団体、ピースボートの第39回クルーズに通訳スタッフとして乗船しており、洋上で通訳業に奔走する日々を送っている。
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updated:2002.11.22